京橋水谷町
きようばしみずたにちよう
[現在地名]中央区銀座一丁目
京橋金六町と京橋白魚屋敷の南にあり、東西に延びる片側町。東は京橋白魚屋敷、南は三十間堀沿いの河岸、西は京橋与作屋敷。金六町裏通ともいう(安政六年泰平町鑑)。寛永江戸図には「水タニ丁」「二丁メ」とみえ、寛文新板江戸絵図では水谷丁とあり、町域は東方の真福寺橋畔まで延びていた。その後享保三年(一七一八)以前に金六町とともに移転し、跡地は町屋が取払われて明地となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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