改訂新版 世界大百科事典 「京漢鉄道ストライキ」の意味・わかりやすい解説
京漢鉄道ストライキ (けいかんてつどうストライキ)
二・七事件としても知られる。1923年2月1日,当時中国最大の鉄道だった京漢鉄道(北京~漢口間)の労働者が総工会結成の大会を鄭州で挙行した。同鉄道を支配する直隷軍閥の呉佩孚(ごはいふ)はこの大会を武力で解散させ,2月4日以来全線で抗議のストライキに突入したのに対し,2月7日,軍隊を出動させて大弾圧を加えた。総工会本部のあった漢口の江岸鉄道工場で32人の労働者が殺されたほか,鄭州,長辛店など工会の各拠点が襲われ,全線で死者40人以上,負傷者数百人,被投獄者40人以上,被解雇者1000人以上という犠牲を出した。中国共産党は結党後,労働者の組織化に全力をあげ,中国の労働運動は22年以来最初の高揚期を迎えていたが,この弾圧を号砲として全国で反動攻勢が強まり,運動は大きな打撃を受けた。半封建・半植民地の中国では反帝反軍閥の政治闘争と離れて労働運動の発展はありえぬことを証明した事件であった。
執筆者:小野 信爾
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