日本歴史地名大系 「京目村」の解説 京目村きようめむら 群馬県:高崎市京目村[現在地名]高崎市京目町東南流する利根川と井野(いの)川の中間に位置する村で、当村一帯は一面に平坦地形が広がる。東は天狗岩(てんぐいわ)用水を境に大沢(おおさわ)村と萩原(はぎわら)村。群馬郡に属し、天正年間(一五七三―九二)に上中下に分村したと伝えるが(郡村誌)、寛文郷帳には京目村とみえ田方四七八石余・畑方一六七石余。二九六石余が前橋藩領、一一六石が三河中島藩領、一一六石余が旗本花房宇右衛門領、同高が同松前平六領。正徳年間(一七一一―一六)植野堰最初掘立御普請書(武井文書)には上京目村二六五石余・下京目村一四八石余がみえ、明和元年(一七六四)の高崎藩所領并御城付道具明細書上(「無銘書」所収)には上京目村一一六石余・下京目村一八三石余が載る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by