…同じ時期に借地や借家,小作争議,労働争議を調停する諸法が制定される一方,小作権確立の小作法や労働法などの成立の見込みがなかった事実は,家事審判所創設に関する主張の社会的・政治的背景を示すものといえる。臨時法制審議会の決議が部分的にも実現をみた1939年制定の人事調停法は,戦争が進むにつれて戦没将兵の遺族間での恩給,扶助料等をめぐる紛争が続出したので,〈現下の時局においては,いっそう家族の親和を図ることが肝要で,是亦重要なる銃後支援の一つ〉として人事調停制度確立が緊急の用務と強調された背景をもっていた。人事調停法2条の〈道義ニ基ヅキ温情ヲ以テ事件ヲ解決スルコトヲ以テ其ノ本旨トス〉との規定には,戦後もなお引き続いて問題となる家族法と家族道徳の混合があり,反権利義務の姿勢がみられる。…
…審議会は親族編改正要綱(1925),相続編改正要綱(1927)を公表し,当局は改定作業に入ったが,後記のような政治情勢進行のため人事法案の公表もされなかった。1939年の人事調停法は前記家事審判所の部分的具体化といえよう。 1935年〈国体明徴〉運動(国体明徴問題)が軍部を中心としてひきおこされて後は〈国体観念〉が権力的に強制され,淳風美俗はわずかに教育刷新評議会の答申(1936)の中に〈良風美俗ノ発揚ニ努メル〉と字句をかえて登場する程度になった。…
※「人事調停法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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