仁坂村(読み)にさかむら

日本歴史地名大系 「仁坂村」の解説

仁坂村
にさかむら

[現在地名]揖斐川町若松わかまつ

中津原なかつはら村の西に位置する。南方みなみがた村の枝村で、承応二年(一六五三)に分村した(大和村誌)地名は南北朝期横蔵よこくら(現谷汲村)へ向かうために開設された新坂にいざか道から転じたという。旗本岡田氏の延宝八年(一六八〇)の知行村々高目録(富田文書)によれば本高一五〇石余・有高一九六石余。元禄郷帳では高八〇石で同氏領。元禄一〇年(一六九七)の家数六四・人数三四七(揖斐郡志)。明治元年(一八六八)の村明細帳によれば家数五五・人数二〇九、産物は米・茶・柑子など、農間に山稼する者が多かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む