日本歴史地名大系 「仁左平村」の解説 仁左平村にさつたいむら 岩手県:二戸市仁左平村[現在地名]二戸市仁左平福岡(ふくおか)村の北東に位置する。「日本後紀」弘仁二年(八一一)三月二〇日条にみえる「爾薩体」、および同年七月二九日条にみえる「弐薩体村」を当地にあてる説もある。八戸街道が通る。元禄十郡郷帳では当村は堀野(ほりの)村へ入るとある。南部重信が関定治に当地を知行地として与えており(参考諸家系図)、元文三年(一七三八)の給人書上には関藤八、四戸治左衛門、下斗米伊兵衛の名がみえる。「邦内郷村志」では蔵分一六六石余のみ。馬は二三六。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数八一、うち本村六五で、枝村は大子(おおご)五・篠倉(しのぐら)四・沢内(さわうち)三・本新田(もとしんでん)三・狐森(きつねもり)一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報