日本歴史地名大系 「二戸市」の解説 二戸市にのへし 面積:二三八・一七平方キロ県の最北端に位置し、東は九戸郡軽米(かるまい)町・九戸村、南は二戸郡一戸町・浄法寺(じようぼうじ)町、北から西にかけて青森県三戸郡名川(ながわ)町・三戸町・田子(たつこ)町に接する。折爪(おりづめ)岳を頂点とする北上高地が東側を、奥羽山脈の支脈山地が西をさえぎり、その間を北流する馬淵(まべち)川が三つの段丘を形成、流域に市街地が形成されている。奥羽山脈に水源をもつ海上(かいしよう)川・十文字(じゆうもんじ)川・安比(あつぴ)川などの支流がほぼ東流して馬淵川に合流、流域に集落が点在する。馬淵川にほぼ並行してJR東北本線と旧奥州街道にあたる国道四号が走り、久慈市に通じる国道三九五号が北東部を東西に、また南西端を東北自動車道八戸線が通る。〔原始・古代〕当地では旧石器時代・縄文時代草創期の遺構、遺物は発見されていないが、馬淵川が形成する三つの段丘からは、縄文時代から古代にかけての幾層もの重なりをもつ遺構が検出されている。縄文時代早期の長瀬(ながせ)B遺跡は県下における同期遺跡としては集落形態が確認された数少ない例の一つで、県内最古の大型住居跡をとりまく五棟の住居跡が発掘された。時期的には沢内(さわうち)B遺跡が続き、その次の前期遺跡としては円筒式土器を出土した中曾根(なかそね)・上里(うわざと)遺跡がある。両者とも大型住居跡が存在し、とくに上里遺跡は断面フラスコ状の土壙から人骨七体分が発見され、全国的に話題になった。中期遺跡としては多量の円筒系・大木系の遺物を出土した上里遺跡や下村(しもむら)遺跡群があり、後期遺跡としては数回にわたる拡張の跡をとどめる大型住居跡・配石遺構が認められた下村遺跡、同じく配石遺構が検出された堀野(ほりの)遺跡がある。晩期遺跡の雨滝(あまたき)遺跡からは良好な遺物が数多く出土し雨滝式という型式名がつけられた。 二戸市にのへし 2006年1月1日:二戸市と二戸郡浄法寺町が合併⇒【浄法寺町】岩手県:二戸郡⇒【二戸市】岩手県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二戸市」の意味・わかりやすい解説 二戸〔市〕にのへ 岩手県北西部,北で青森県に接する市。市域東部は北上高地北部の山地で,東部を馬淵川 (まべちがわ) が南北に流れる。西部は奥羽山脈に続く山地。 1972年福岡町,金田一村が合体し市制施行。 2006年浄法寺町と合体。市名は中世以来の行政地区名にちなむ。中心市街の福岡には天正 19 (1591) 年九戸政実が,豊臣秀吉の力をかりた南部信直の大軍によって滅ぼされた九戸城跡 (別名白鳥城。国の史跡) があり,山城から平城に移る過渡期の城として有名。市街地は馬淵川の河岸段丘上にある。段丘面や傾斜面を利用してリンゴ園が多いほか,タバコ,キュウリの栽培も行なわれている。南西部の浄法寺は古くから南部漆の産地として知られ,浄法寺の漆掻きと浄法寺塗の用具および製品として国の重要有形民俗文化財に指定。行基開祖と伝えられる八葉山天台寺は,聖観音立像とともに国の重要文化財。南東部には折爪岳や馬仙峡の景勝地があり,折爪馬仙峡県立自然公園に指定されている。北東部の金田一温泉 (→金田一 ) は十和田湖観光の基地。国道4号線から国道 395号線が分岐,陸中海岸に通じる。東北新幹線,IGRいわて銀河鉄道が通る。南部を八戸自動車道が通り,浄法寺インターチェンジがある。面積 420.42km2。人口 2万5513(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by