八戸街道(読み)はちのへかいどう

日本歴史地名大系 「八戸街道」の解説

八戸街道
はちのへかいどう

江戸時代、奥州街道の福岡ふくおか宿(現二戸市)から観音林かんのんばやし(現軽米町)市野沢いちのさわ(現青森県三戸郡南郷村)を経て、八戸城下上組かみくみ町に至る街道。八戸藩参勤交代に利用され、登り街道・上り街道とも称された。福岡から観音林までは現在の国道三九五号、市野沢以後は三四〇号の道筋に近い。福岡から堀野ほりのに至り奥州街道と分岐、仁左平にさつたい(以上現二戸市)から猿越さるごえ峠を越え晴山はれやまの観音林に下る。さらに晴山の高清水たかしみず高家こうけ苅敷山かりしきやま(以上現軽米町)から市野沢方面に北上する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む