日本歴史地名大系 「今三川村」の解説 今三川村いまみつがわむら 大分県:大分市旧鶴崎市地区今三川村[現在地名]大分市三川下(みつがわしも)一―三丁目・三川新町(みつがわしんまち)一―二丁目・原川(はるかわ)一―三丁目・花高松(はなたかまつ)一―三丁目・向原東(むかいばるひがし)二丁目・高松東(たかまつひがし)三丁目原川と乙津(おとづ)川に挟まれた地域に位置し、東は同川を隔てて海原(かいわら)村など。南の本三川(ほんみつがわ)村や乙津村との境界に境杭が立つ(「高松御預所聞書」島原松平文庫)。本三川村とともに中世高田(たかた)庄三川名の遺称地。当村と本三川村とは当初一ヵ村であったが、元和九年(一六二三)一部が松平忠直(一伯)の賄料となり(大分市史)、賄料地が三川村、残りの当村分が三河村と記されるようになったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報