乙津村(読み)おとづむら

日本歴史地名大系 「乙津村」の解説

乙津村
おとづむら

[現在地名]大分市乙津町・乙津港町おとづみなとまち一―二丁目など

乙津川下流の左岸に位置し、北は本三川ほんみつがわ村。伊予街道(肥後街道)が通り、同川に渡しがある。文永一〇年(一二七三)四月一一日の大隅国正八幡宮大神宝官使等重申状案(宮内庁書陵部八幡宮関係文書)に「高田庄乙津」とみえる。しよう八幡宮(現鹿児島県隼人町鹿児島神宮)大神宝用途徴収をめぐり、石垣いしがき(現別府市)地頭代迎西ならびに名主百姓が大神宝官使と争いを起こし、高田たかた庄乙津から逃亡を図った。この申状に対し大友頼泰が石垣・高田両庄地頭代に発給した召文(「大友頼泰書下案」同文書)に「自高田庄之船津、擬逃上由事」とみえ、これ以前から湊であった。天正一六年(一五八八)頃の一二月五日付田原親家感状(橋本文書)に「従乙津乗船候之処」ともみえ、海上交通の拠点であった。


乙津村
おつむら

[現在地名]あきる野市乙津

あき川の上流域で、四方を山に囲まれる。北は養沢ようざわ村、南東戸倉とくら村。秋川沿いに戸倉村より檜原ひのはら道が通る。天文一三年(一五四四)一二月八日の康明感状写(武州文書)によれば、来住野大炊助に勲功の賞として「日影落合」が与えられている。両所とも中世には西戸倉に属したが、近世は乙津村内となった。所領を宛行った康明は戸倉周辺の領主小宮氏と思われ、康は北条氏康の偏諱であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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