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松平忠直 まつだいらただなお

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松平忠直
まつだいらただなお

[生]文禄4(1595).6.10. 大坂
[没]慶安3(1650).9.10. 豊後
江戸時代初期の大名。結城秀康の長子で,徳川家康の孫にあたる。母は中川出雲守一茂の娘。幼名は国丸,長吉。慶長 12 (1607) 年家督を継いで越前北庄 (きたのしょう) 67万石を領した。大坂の陣の戦功に報いられなかったため,幕府に不満をもち,不遜な行状が多く,元和9 (23) 年2月改易,豊後萩原に流された。

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デジタル大辞泉の解説

まつだいら‐ただなお〔まつだひらただなほ〕【松平忠直】

[1595~1650]江戸初期の大名。越前福井藩主。結城秀康の長男。大坂の陣での論功を不満として反逆的言動をとり、豊後(ぶんご)に配流された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平忠直 まつだいら-ただなお

1595-1650 江戸時代前期の大名。
文禄(ぶんろく)4年6月10日生まれ。結城秀康(ゆうき-ひでやす)の長男。妻は徳川秀忠(ひでただ)の娘勝姫。慶長12年13歳で越前(えちぜん)(福井県)北庄(きたのしょう)(福井)藩主松平家2代となる。大坂の陣で真田幸村(さなだ-ゆきむら)を討つなどの大功をたてた。のち乱行や将軍家に対する不遜(ふそん)な行動がかさなり,元和(げんな)9年改易(かいえき)となり豊後(ぶんご)(大分県)萩原に流された。慶安3年9月10日死去。56歳。幼名は長吉。号は一伯(いっぱく)。

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世界大百科事典 第2版の解説

まつだいらただなお【松平忠直】

1595‐1650(文禄4‐慶安3)
江戸前期の大名。三河守,越前宰相。配流後落飾して一伯と号する。結城秀康(徳川家康の次男)の長子。室は徳川秀忠の三女勝姫(天崇院)。1607年(慶長12)家督を継ぎ越前福井67万石を領する。大坂の陣では真田幸村を討つなど戦功著しかったが,従三位参議に叙せられただけであったので幕府に不満を抱き,その後家臣の成敗など乱行を繰り返したため,23年(元和9)改易,豊後萩原に配流された。【杣田 善雄】

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大辞林 第三版の解説

まつだいらただなお【松平忠直】

1595~1650) 江戸初期の大名。結城秀康の長男、徳川家康の孫。父の死により越前六七万石を継ぐが、大坂冬の陣における戦功に不満を抱いて乱行を重ね、また幕府への不遜の行動により改易されて豊後ぶんごに流された。落飾して一伯と号し、同地に没す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松平忠直
まつだいらただなお
(1595―1650)

江戸前期の大名。2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の兄結城秀康(ゆうきひでやす)の長男。母は中川一茂(かずしげ)の娘。1607年(慶長12)父秀康の領地越前(えちぜん)国福井城(67万石といわれる)を相続し、11年将軍秀忠の三女を娶(めと)る。15年(元和1)の大坂夏の陣では真田幸村(さなだゆきむら)らを討ち取り大功をたてた。その結果同年参議従三位(じゅさんみ)に進むが領地の加増はなく、恩賞の少なさに不満を抱き、その後酒色にふけり、領内で残忍な行為があるとの評判がたった。また江戸へ参勤する途中、無断で国へ帰ったりして江戸へ出府しないことが数年続いたりしたので、藩政の乱れを理由に23年豊後萩原(ぶんごはぎわら)(大分市)に流され、幕府の豊後目付(めつけ)の監視下に置かれた(越前騒動)。豊後では5000石を生活のために支給され、当地で死んだ。いわば将軍秀忠の兄の子という優越した家の抑圧の結果とみられる。なお処罰前の乱行について菊池寛が小説『忠直卿(きょう)行状記』を著したので有名となるが、かならずしも史実ではない。[上野秀治]
『金井圓著「松平忠直」(『大名列伝 3』所収・1967・人物往来社)』

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世界大百科事典内の松平忠直の言及

【福井藩】より

…秀康は下総国結城から商工人を伴って入国しているが,城下町の地子を免除し,税制や交通を整備するなど領国経営の基礎を固めた。長男松平忠直も久世騒動といわれる御家騒動を切り抜け,鳥羽野を開拓するなどの治績をあげたが,23年(元和9)乱行を理由に豊後国に配流された。ただし伝えられる忠直の乱行は多く潤色で,すべてが史実とは認められない。…

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