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今城重子 いまき しげこ

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美術人名辞典の解説

今城重子

女官。今城定章の娘。通称は婦喜・今参・衛門内侍・少将内侍。孝明天皇の側近として重きをなし、和宮の結婚に際しては斡旋の労により幕府より禄を増された。このことがのち尊王攘夷派の公卿らを刺激し辞官・落飾を命じられたが、後年旧位に復された。明治34年(1901)歿、74才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

今城重子 いまき-しげこ

1828-1901 幕末の女官。
文政11年9月16日生まれ。万延元年少将内侍(ないし)。孝明天皇の側近として堀河紀子(もとこ),岩倉具視(ともみ),義兄の千種有文(ちぐさ-ありふみ)らと和宮降嫁につくす。尊攘(そんじょう)派に四奸二嬪(しかんにひん)のひとりとして攻撃され,文久2年宮中を追われ,翌年出家。慶応4年ゆるされ旧位に復した。明治34年7月18日死去。74歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

今城重子

没年:明治34.7.18(1901)
生年:文政11.9.16(1828.10.24)
幕末の女官。今城定章の娘。母は松平主膳光政の娘。千種有文の義妹。嘉永1(1848)年孝明天皇の後宮に近侍し,のち少将内侍となる。義兄有文や岩倉具視らと意を通じ,安政5(1858)年具視の「神州万歳堅策」は重子を経て天皇に内奏されたという。和宮降嫁に際しても堀河紀子と共にこれを推進したため,のちに朝廷内の尊攘派から「四奸両嬪」のひとりとして排撃され,辞官隠居,落飾を命じられた。慶応4(1868)年,許されて旧位に復した。墓所は京都三宝寺。<参考文献>大久保利謙『岩倉具視』

(久保貴子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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