朝日日本歴史人物事典 「今城重子」の解説
今城重子
生年:文政11.9.16(1828.10.24)
幕末の女官。今城定章の娘。母は松平主膳光政の娘。千種有文の義妹。嘉永1(1848)年孝明天皇の後宮に近侍し,のち少将内侍となる。義兄有文や岩倉具視らと意を通じ,安政5(1858)年具視の「神州万歳堅策」は重子を経て天皇に内奏されたという。和宮降嫁に際しても堀河紀子と共にこれを推進したため,のちに朝廷内の尊攘派から「四奸両嬪」のひとりとして排撃され,辞官隠居,落飾を命じられた。慶応4(1868)年,許されて旧位に復した。墓所は京都三宝寺。<参考文献>大久保利謙『岩倉具視』
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報