ハノーバー朝(読み)ハノーバーちょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハノーバー朝」の意味・わかりやすい解説

ハノーバー朝
ハノーバーちょう
Hannover Dynasty

イギリス王朝(1714~ )。1701年の王位継承法規定により,1714年アン女王の没後ハノーバー選帝侯ジョージ1世在位 1714~27)が即位して創始ジョージ2世(在位 1727~60),ジョージ3世(在位 1760~1820),ジョージ4世(在位 1820~30),ウィリアム4世(在位 1830~37),ビクトリア(在位 1837~1901)と続き,次のエドワード7世(在位 1901~10)から家名サックス=コーバーグ=ゴーサ家と改称。さらにジョージ5世(在位 1910~36)治下,第1次世界大戦中の 1917年にウィンザー家と改称。シンプソン夫人との結婚問題のため 1年足らずで退位しウィンザー公となったエドワード8世(在位 1936.1.~12.),その弟ジョージ6世(在位 1936~52),長女エリザベス2世(在位 1952~2022),長男チャールズ3世(在位 2022~ )が継承して今日にいたっている。(→ウィンザー家ハノーバー家

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハノーバー朝」の意味・わかりやすい解説

ハノーバー朝
はのーばーちょう

1714年から1901年までのイギリス王家。ブランズウィックBrunswick朝ともいう。1714年スチュアート家のアン女王の死に伴い、王位継承法(1701)の規定により、ジェームズ1世の孫にあたるドイツのハノーバーHanover選帝侯妃ゾフィーの子ゲオルク・ルートウィヒ(ゲオルク1世)がジョージ1世(在位1714~1727)としてイギリス王位につき、ハノーバー朝開祖となった。以来ハノーバー家は123年間にわたってイギリスとハノーバーとの君主を兼ねたが、1837年ビクトリア女王のイギリス国王即位にあたって分離された。その後、1901年のエドワード7世のとき、父アルバート公の家名をとってサックス・コーバーグ・ゴータSaxe-Coburg-Gotha朝と改称、続いて第一次世界大戦中の1917年、対戦国のドイツ式の名称を名のることを避けるためウィンザー朝と改称され、現在に至っている。現王室はハノーバー朝の直系にあたる。

[大久保桂子]


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