今関天彭(読み)イマゼキ テンポウ

20世紀日本人名事典 「今関天彭」の解説

今関 天彭
イマゼキ テンポウ

明治〜昭和期の漢詩人,中国学術文芸研究家



生年
明治15(1882)年6月19日

没年
昭和45(1970)年10月19日

出生地
千葉県東金

本名
今関 寿麿(イマゼキ ヒサマロ)

経歴
幼時祖父から経学を学び、17歳の時東京に移り、石川鴻斎漢詩文を習い、明治40年森槐南、国分青涯から清、明の詩風を学んだ。43年国民新聞、44年国民雑誌社に入り、「訳文大日本史」の訳業に従事。大正5年朝鮮総督府嘱託、7年北京に今関研究室を設け、中国事情を研究。この頃、斎藤実朝鮮総督(後の首相)顧問、南京政府首席汪兆銘の文事顧問、南京大学講師を兼ねた。昭和6年日本に帰ったが、17年重光葵南京駐在大使の招きで顧問を務めた。戦後帰国し25年新木栄吉日銀総裁に招かれ同行の漢詩講話会を開き、興銀に受け継がれた。26年雑誌「雅友」を発行。39年から「漢詩大系」(全24巻)の編集委員となり宋詩選を分担執筆した。著書に「天彭詩集」(全12巻)「支那戯曲集」「東京先儒墓田録」「法帖叢話」「宋元明清儒学年表」「東洋画論集成」「中国文化入門」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今関天彭」の解説

今関天彭 いまぜき-てんぽう

1882-1970 明治-昭和時代の漢詩人,中国研究家。
明治15年6月19日生まれ。石川鴻斎(こうさい),森槐南(かいなん)らにまなぶ。朝鮮総督府嘱託などをへて,大正7年今関研究室を北京に設立。昭和17年重光葵(まもる)駐華大使顧問。戦後,漢詩雑誌「雅友」を創刊。昭和45年10月19日死去。88歳。千葉県出身。本名は寿麿。著作に「近代支那の学芸」「天彭詩集」。

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367日誕生日大事典 「今関天彭」の解説

今関 天彭 (いまぜき てんぽう)

生年月日:1882年6月19日
明治時代-昭和時代の詩人;中国学術文芸研究家
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報