日本歴史地名大系 「仏性寺跡」の解説 仏性寺跡ぶつしようじあと 三重県:上野市長田村仏性寺跡[現在地名]上野市長田寺垣内(てらかいと)、通称寺内(てらうち)にある。「伊水温故」は「雨師山仏性寺 長田庄寺内村 院号吉祥院」とし、「三国地志」には「雨市山遍照院」とある。開基を「伊水温故」は「治承年中六条右大臣藤原顕季」とするが、顕季は六条修理大夫で保安四年(一一二三)に没しており(尊卑分脈)符合しない。「三国地志」は「准后伊賀記」の「六条殿顕房開基」説を引用する。源顕房は贈正一位六条右府を称し、女の賢子は白川院妃となり、子内親王を生んだ(尊卑分脈)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by