日本歴史地名大系 「長田村」の解説
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
- 福岡県:甘木市
- 長田村
正徳二年(一七一二)久留米藩は床島村を流れる筑後川に石井手(床島堰)を造成し(竣工は同三年)、新川を掘って筑後国
長田村
おさだむら
- 京都府:福知山市
- 長田村
由良川の支流
村の南方
長田の名は古く、「新古今集」(巻七)賀歌に次のようにみえる。
丹波国は古くより大嘗会の主基田に卜定されることがあったが、長田の田がその一つであったと推察される。
長田村
ながたむら
「和名抄」所載の高田郡
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
中世末期には長田郷とよばれ、大永五年(一五二五)五月五日付の万勝山正現寺文書(「閥閲録」所収)に「長門国美祢郡長田郷万勝寺住持職之事、所令裁許也者、早守先例、云寺家云寺領、執務領掌不可有相違之状如件」とみえ、大内義興が現在の
永禄一一年(一五六八)九月二三日付の香山常栄寺文書(「寺社証文」所収)によれば京の
長田村
ながたむら
若江郡に属し、標高三・七五―五メートルの平坦地で北は
慶長一七年(一六一二)の村高は八〇一石余、寛永五年(一六二八)高西夕雲により一一七石余が無地増高された。同一九年には村が
長田村
ながたむら
- 三重県:上野市
- 長田村
長田村
おさだむら
- 愛媛県:伊予三島市
- 長田村
現伊予三島市の西北端、
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
「和名抄」にみえる宇摩郡
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
元和五年(一六一九)の備後国知行帳には「長田下村」とある。「世羅郡誌」によると、文政三年(一八二〇)には実畝五七町八反三畝一二歩のうち田四三町三反四畝一二歩・畠一四町一反・宅地三反九畝で、本途物成は一五五石九斗八升六合、万延元年(一八六〇)には高四一石三升一合、村高のうち二四石余が明知で、他は六人の給知。
長田村
ながたむら
長田村
おさだむら
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
- 栃木県:真岡市
- 長田村
鬼怒川左岸の台地上平坦地に位置する。西は
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
長田村
おさたむら
田圃を隔てて北東に
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
- 大分県:竹田市
- 長田村
長田村
ながたむら
長田村
ながたむら
- 熊本県:八代市
- 長田村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報