仲程村
なかふどうむら
[現在地名]大里村仲間
平良村の南にある。ナカフドゥ村とよぶ。絵図郷村帳に島添大里間切中程村とみえるが、琉球国高究帳には記載がない。「琉球国由来記」には大里間切仲程村とみえる。高究帳では宮城村の高頭四四七石余に含まれていると思われる。間切集成図によると与那原村(現与那原町)から南下した道筋は仲程村の南の角で分岐し、玉城間切番所(現玉城村)へと向かう。その道沿いに井がある。当村を領した地頭職には廃藩の頃に馬氏仲程良堅がいる(馬姓仲程家家譜など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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