伊北郷(読み)いほうごう

日本歴史地名大系 「伊北郷」の解説

伊北郷
いほうごう

只見ただみ上流域の現只見町全域と南郷なんごう村北部に比定される中世の郷。伊南いな川の上流から下流にかけて上伊北・中伊北・下伊北の三つに分れていた。只見町梁取の成法やなとりのじようほう寺にある応長元年(一三一一)七月二〇日の木造聖観音坐像銘に「奥州伊北郷梁取村成法寺(中略)大檀那藤原三河権守宗景」とある。三河権守宗景は、長江ながえ庄地頭長沼時宗の曾孫皆川宗景であろう(「皆川系図」栃木市金剛寺蔵)。「会津旧事雑考」に載る応永八年(一四〇一)一〇月八日の八所宮鰐口銘に「奥州南山伊北郷八所宮」とある。同三〇年関東公方足利持氏が宇都宮持綱を攻めたとき使いとして上洛しようとした宇都宮氏の郎等らが、「南山内伊北」で捕らえられて殺されている(同年一一月日「某軍忠状」皆川文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android