伊東祐民(読み)いとう すけたみ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊東祐民」の解説

伊東祐民 いとう-すけたみ

1792-1812 江戸時代後期の大名
寛政4年2月22日生まれ。伊東祐鐘(すけあつ)の子。寛政10年7歳で日向(ひゅうが)(宮崎県)飫肥(おび)藩主伊東家11代となる。享和元年学問所をひらく。父の代とおなじく野中金右衛門を植木方として重用し,飫肥杉の名をひろめさせた。文化9年6月29日死去。21歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊東祐民の言及

【飫肥藩】より

…日向国那珂郡飫肥に藩庁を置いた外様小藩。1587年(天正15)豊臣秀吉の九州出兵後,伊東祐兵(すけたか)が那珂・宮崎両郡に高2万8000石を給されたのが藩の興りである。2代祐慶(すけのり)のときに5万7086石の検地高をみたが,その後2度の分知があって総高5万1000石の石高が確定した。5代祐実は,1684年(貞享1)の地震によって被害をうけた飫肥城の修築,郷士制の制定,士農に対する盆踊の公認など果敢な政策を実施し,藩中興の主に位置づけられる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」