伊田別符(読み)いたべつぷ

日本歴史地名大系 「伊田別符」の解説

伊田別符
いたべつぷ

上伊田かみいた・下伊田およびその周辺に比定される宇佐弥勒寺喜多きた院領の庄園。彦山川に沿う低地で、しばしば氾濫を繰返し、低地にある条里遺構は周辺地域とは地割方向が異なり、氾濫によって条里が再施行されたと推定される。鎌倉時代初期と思われる弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)に「伊田別符百卅町」とある。元応元年(一三一九)八月には弥勒寺権別当通清が管領する庄園として、池尻いけじり(現川崎町)位登いと金国かなくにとともに伊田があった(「弥勒寺権別当方祗候人数等定書」同文書/鎌倉遺文三五)。貞治五年(一三六六)六月一一日、豊前国の国人門司親長は田川郡に入り、菊池武光ら南朝方の守る伊田城で合戦して忠節を尽した(同年六月日「門司親長軍忠状」門司文書/南北朝遺文(九州編)四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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