日本歴史地名大系 「伊船野田村」の解説 伊船野田村いふなのだむら 三重県:鈴鹿市旧鈴鹿郡地区伊船野田村[現在地名]鈴鹿市伊船(いふな)町 伊船野田伊船村の南東、間に竜(りゆう)ヶ池を挟んで、御幣(おんべ)川左岸の段丘上にある。天正一一年(一五八三)峯(みね)城(現亀山市)合戦に際し、近藤吉重が戦死、その子吉景が同一九年浪人を集めて原野を開墾し、天照大神を祀る神明社を氏神としたという(鈴峯郷土誌資料)。文禄三年(一五九四)伊船村の一部は、三河掛川(かけがわ)城主山内一豊領となっているので、やがてその支配下に入ったのであろうか。亀山藩の「九九五集」には年代不詳であるが<資料は省略されています>とあり、対馬は一豊のことであろう。関ヶ原戦後、亀山藩領であったが、元和元年(一六一五)津藩領となり、寛永一三年(一六三六)以降は再び亀山藩領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by