四天王(読み)シテンノウ

デジタル大辞泉 「四天王」の意味・読み・例文・類語

してん‐のう〔‐ワウ〕【四天王】

《「してんおう」の連声れんじょう
仏教の四人の守護神。東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天のこと。帝釈たいしゃくに仕え、八部衆を支配する。甲冑かっちゅうをまとった武将の姿で表され、足下に邪鬼を踏まえて本尊を四方から囲んで配される。中国・朝鮮・日本で早くから四天王の護国信仰が広まり、法隆寺金堂木彫像・東大寺戒壇塑像など数多く造像された。四大天王。
ある部門や臣下・弟子などの中で、最もすぐれている者4人の称。碓井貞光うすいさだみつ卜部季武うらべのすえたけ坂田金時さかたのきんとき渡辺綱わたなべのつな頼光四天王など。
[類語]双璧二枚看板三羽烏

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精選版 日本国語大辞典 「四天王」の意味・読み・例文・類語

してん‐のう‥ワウ【四天王】

  1. ( 「してんおう」の連声 )
  2. [ 1 ] 仏語。須彌山(しゅみせん)の中腹にある四王天の主で、東方の持国(じこく)天、西方の広目(こうもく)天、南方の増長(ぞうじょう)天、北方の多聞(たもん)天または毘沙門(びしゃもん)天のそれぞれを主宰する王の総称。八部衆を支配して帝釈天に仕え、仏法と仏法に帰依する人々を守護する。四大天王。
    1. [初出の実例]「乃ち白膠木をり取りて、疾く四天王の像に作りて」(出典:日本書紀(720)崇峻即位前七月)
    2. [その他の文献]〔最勝王経‐六〕
  3. [ 2 ] 〘 名詞 〙 臣下、弟子などのなかで最もすぐれているもの四人の称。また、ある道、ある部門で才芸の最もすぐれているもの四人の称。
    1. [初出の実例]「頼光朝臣遣四天王等」(出典:古事談(1212‐15頃)二)
    2. 「今井・樋口・楯・禰井とて、木曾が四天王のそのひとつ也」(出典:平家物語(13C前)九)

四天王の補助注記

[ 二 ][ 一 ]の像がいかめしい武将姿であるところから、最初は優れた武将に対する表現であったものが、後に芸道その他にも広く用いられるようになったと思われる。

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改訂新版 世界大百科事典 「四天王」の意味・わかりやすい解説

四天王 (してんのう)

須弥山(しゆみせん)の中腹にある四天王天(または四大王天,四王天)の四方に住んで仏法を守護する4体の護法神。四大天王,四王,護世四王ともいう。東方に持国天(提頭頼吒(だいずらた)の訳),南方に増長天(毘楼勒叉(びるろくしや)),西方に広目天(毘楼博叉(びるばくしや)),北方に多聞天(毘沙門)が位置する。《増一阿含経(ぞういちあごんきよう)》や《阿育王経(あいくおうきよう)》には,四天王が釈尊のもとに現れて帰依したことや,釈尊の涅槃(ねはん)の後に仏法を守護することを釈尊から託されたことを記し,《金光明最勝王経》には,四天王が釈尊に対し本経を信奉する人々とその国家を守護することを誓ったことが説かれている。他の経典にも梵天や帝釈天とともに仏法の守護神として現れる。

 日本では飛鳥時代以来,四天王に対する信仰は篤く,四天王寺や金光明四天王護国之寺(東大寺)が建立されるなど国家の平安が祈願され,多くの造像がなされ,堂内の四隅や須弥壇上の四隅に安置された。中国以東の像は,中国風の甲冑を着けて立つ武将像として造られる例が多い。姿勢と持物については諸説があり,日本に現在ある多数の作例の中からは典型的な形式を定めがたい。東大寺戒壇堂の塑像(国宝)の場合,持国天は右腰前で構えた剣の先を左膝辺で左手でおさえ,増長天は体の右側に立てた戟(げき)の長い柄を頭部より高い位置で右手で握り,左手は腰に当てる。広目天は左手に巻物を持ち右手に筆をとり,多聞天は左手を下げて剣を執り,右手は高くかかげて掌の上に宝塔をのせる。持国天以外の形像は,唐の金剛智訳《般若十六善神王形体》が説く四天王像の姿にだいたい一致する。東大寺戒壇堂像と同様に足下に邪鬼を踏む作例も多い。他の著名な作例としては,彫像に法隆寺金堂像,東大寺法華堂像,唐招提寺金堂像,興福寺像,教王護国寺講堂像などがあり,画像としてはボストン美術館に鎌倉時代の絵師重命(ちようみよう)が描いたと推定される四面の像(額装)が知られる。
執筆者:

仏教語の四天王から転じて武将,臣下,門弟,特定の芸道などで特にすぐれた4人をいうようになった。単に四天という場合もあるが,中でも頼光の四天王が有名で,渡辺綱,坂田金時,碓井(うすい)貞光,卜部(うらべ)季武(屋代本《平家物語》,《古事談》巻二など)をいい,《尊卑分脈》の源(渡辺)綱の傍書にも〈頼光朝臣郎等四天其一〉〈頼光四天〉などと見える。《十訓抄》巻三には武将の四天王として源頼信,藤原保昌,平維衡,平致頼をあげ,《平家物語》巻九などに木曾義仲の四天王として今井兼平,樋口兼光,根井光親,楯親忠が見え,《源平盛衰記》巻四十八に源義経の四天王として佐藤継信,同忠信,鎌田盛政,同光政が見える。他に新田義貞の四天王として栗生顕友篠塚伊賀守,畑時能,由良具滋,織田信長の四天王として柴田勝家,滝川一益,丹羽長秀,明智光秀徳川家康の四天王として酒井忠次,井伊直政,本多忠勝榊原康政,豊臣秀頼の四天王として木村重成,真田幸村,長宗我部盛親,後藤基次などがある。芸道では和歌の四天王(頓阿,兼好,浄弁,慶運),弓馬の四天王,茶道の四天王などがある。また近世の和歌では小沢蘆庵門の四天王,賀茂真淵門の四天王,香川景樹門の四天王などということがある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「四天王」の意味・わかりやすい解説

四天王
してんのう

インド神話時代から護世神とされ、仏教では須弥山(しゅみせん)の中腹にある四王天の主として、持国天(じこくてん)(東方の勝身(しょうしん)州)、増長(ぞうちょう)天(南方の瞻部(えんぶ)州)、広目(こうもく)天(西方の牛貨(ごか)州)、多聞(たもん)天(毘沙門(びしゃもん)天。北方の瞿盧(くる)州)をいう。四大天王、護世四王ともいう。帝釈(たいしゃく)天の外将で、上は帝釈天に仕え、下は八部衆(はちぶしゅう)を支配し、仏法、仏法に帰依する衆生(しゅじょう)、そして国家を守護する。梵天(ぼんてん)および帝釈天とともに仏法守護神として諸経に広く説かれている。それぞれの形像については、インドでは貴人の姿で表現されたが、中国、日本では武将形となり、さらに忿怒(ふんぬ)の相も付加されるに至った。後世、武将輩下の勇武の者4人を四天王と称するに至り、源頼光(よりみつ)の四天王(渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(きんとき)、碓井貞光(うすいさだみつ)、卜部季武(うらべすえたけ))、源義経(よしつね)の四天王(鎌田盛政(もりまさ)・光政(みつまさ)、佐藤継信(つぐのぶ)・忠信(ただのぶ))、織田信長の四天王(柴田勝家(しばたかついえ)、滝川一益(かずます)、丹羽(にわ)長秀、明智光秀(あけちみつひで))、徳川家康の四天王(井伊直政(いいなおまさ)、本多忠勝(ほんだただかつ)、榊原康政(さかきばらやすまさ)、酒井忠次(ただつぐ))はその好例である。また、和歌の四天王(頓阿(とんあ)、兼好、浄弁、慶運)というように、一道に秀でた者4人をいう場合にも用いられた。

[江口正尊]

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百科事典マイペディア 「四天王」の意味・わかりやすい解説

四天王【してんのう】

仏教の守護神で東南西北の四方を守る天部の神。須弥山(しゅみせん)の中腹に住み,それぞれ一つずつの天下を守るとされる。ともに帝釈(たいしゃく)天の部将。東を持国天,南を増長天,西を広目天,北を多聞天(毘沙門天とも)。日本では,彫刻に傑作が多く,法隆寺金堂(飛鳥期),唐招提寺金堂(天平期)などがある。
→関連項目康慶天部東大寺毘沙門天山口大口費

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四天王」の意味・わかりやすい解説

四天王
してんのう

仏教の世界観を示す際に記述される4鬼神。須弥山の中腹,東西南北の四方に住むという。東の持国天,南の増長天,西の広目天,北の多聞天 (→毘沙門天 ) をいう。インド神話的な神であるが,仏教に取入れられてからは仏法の守護神とされる。いずれも甲冑に身を固め邪鬼を足下に踏む姿で表現されるのが通例。『金光明経』には四天王を信仰すれば国家安穏,五穀豊穣とあるため,日本では仏教伝来とともに国家的に信仰され,江戸時代まで多くの遺品がある。法隆寺金堂の木像 (飛鳥時代) ,東大寺戒壇院の塑像 (天平時代) などが著名。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「四天王」の解説

四天王
してんのう

四王天とも。須弥山(しゅみせん)の中腹にある欲界第6天の四王天の主で,東方守護の持国天(じこくてん),南方守護の増長天(ぞうじょうてん),西方守護の広目天(こうもくてん),北方守護の多聞天(たもんてん)(毘沙門天(びしゃもんてん))の四つ。八部衆を率い,須弥山頂忉利天(とうりてん)の帝釈天(たいしゃくてん)に仕え仏法を守護する。寺院の須弥壇上の四隅に配置されるときには,忿怒形(ふんぬぎょう)で邪鬼を足下にするかたちに造られる。法隆寺金堂・東大寺戒壇院のものが有名。四天王寺が聖徳太子の誓願で建立されたとの伝承はよく知られる。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「四天王」の解説

してんのう【四天王】

愛知の日本酒。酒名は、仏教で四方を鎮護する持国天、増長天、広目天、多聞天の四神に由来。大吟醸酒「特別長春」は昭和62、63、平成元年、3、4、8、9、11、15、17~20年全国新酒鑑評会で金賞受賞。ほかに純米吟醸酒、純米酒、本醸造酒がある。原料米は山田錦、五百万石など。仕込み水は木曽川の伏流水。蔵元の「甘強(かんきょう)酒造」は文久2年(1862)本みりんの醸造元として創業。昭和29年(1954)酒造を開始。所在地は海部郡蟹江町城。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「四天王」の解説

四天王
(通称)
してんのう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
会合咲分四天王
初演
享保5.11(江戸・森田座)

四天王
してんのう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
万治3.7(江戸・日向太夫座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「四天王」の解説

四天王

愛知県海部郡蟹江町にある甘強酒造の製造する日本酒のブランド名。大吟醸酒「長春」、純米吟醸酒「いっこく」、本醸造酒「名古屋政宗」などがある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「四天王」の解説

四天王
してんのう

仏教の守護神
持国天・増長天・広目天・多聞天。東大寺戒壇院の四天王像は天平美術の名作とされる。

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とっさの日本語便利帳 「四天王」の解説

四天王

仏教で、帝釈天に仕える護法神。▽多聞天(毘沙門天。北)、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)

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