伊藤三郎(読み)イトウ サブロウ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「伊藤三郎」の解説

伊藤 三郎
イトウ サブロウ*


肩書
元・川崎市長

生年月日
大正9年3月29日

出生地
千葉県成田市

学歴
早大高工〔昭和15年〕卒

経歴
15歳の時、川崎へ。昭和26年技術吏員として川崎市役所勤務。川崎市職組委員長、同市労連委員長、自治労神奈川県本部委員長などを経て、46年川崎市長に当選、以来5選。この間、47年全国で最も厳しいとされた市独自の公害防止条例制定。60年2月には“指紋押捺拒否者告発せず”を決定、大きな反響を呼んだ。当時の美濃部亮吉東京都知事、長洲一二神奈川県知事、飛鳥田一雄横浜市長とともに革新自治体ブームの立役者となった。平成元年10月辞任。昭和58年から全国革新市長会会長もつとめた。

所属団体
土木学会

受賞
セーシェル国際親善功労賞〔昭和63年〕 勲二等瑞宝章〔平成2年〕

趣味
読書

没年月日
平成9年10月16日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「伊藤三郎」の解説

伊藤 三郎
イトウ サブロウ

昭和・平成期の政治家 元・川崎市長。



生年
大正9(1920)年3月29日

没年
平成9(1997)年10月16日

出生地
千葉県成田市

学歴〔年〕
早大高工〔昭和15年〕卒

主な受賞名〔年〕
セーシェル国際親善功労賞〔昭和63年〕,勲二等瑞宝章〔平成2年〕

経歴
15歳の時、川崎へ。昭和26年技術吏員として川崎市役所勤務。川崎市職組委員長、同市労連委員長、自治労神奈川県本部委員長などを経て、46年川崎市長に当選、以来5選。この間、47年全国で最も厳しいとされた市独自の公害防止条例を制定。60年2月には“指紋押捺拒否者告発せず”を決定、大きな反響を呼んだ。当時の美濃部亮吉東京都知事、長洲一二神奈川県知事、飛鳥田一雄横浜市長とともに革新自治体ブームの立役者となった。平成元年10月辞任。昭和58年から全国革新市長会会長もつとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤三郎」の解説

伊藤三郎 いとう-さぶろう

1920-1997 昭和後期-平成時代の政治家。
大正9年3月29日生まれ。昭和26年川崎市役所にはいる。川崎市労連委員長,自治労神奈川県本部委員長などをへて,46年社共共闘で川崎市長に当選。5期18年つとめ,大気汚染物質の総量規制や公害病認定患者への補償制度をつくるなど先駆的な公害・環境行政をすすめる。全国革新市長会会長もつとめた。平成9年10月16日死去。77歳。千葉県出身。早大高工卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「伊藤三郎」の解説

伊藤 三郎 (いとう さぶろう)

生年月日:1920年3月29日
昭和時代;平成時代の政治家。川崎市長
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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