伊藤憲一(読み)イトウ ケンイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「伊藤憲一」の解説

伊藤 憲一
イトウ ケンイチ


肩書
元・衆院議員(共産党)

生年月日
大正1年1月25日

出生地
旧朝鮮

学歴
高小〔大正14年〕中退

経歴
大正14年小学校を中退して東京モスリン亀戸工場に入社し、総同盟関東紡織労働組合に加入。昭和元年東京帝大セツルメント市民学校に入学し、社会主義を学ぶ。以後多くの労働運動に参加し、4年検挙されて懲役4年6カ月に処せられる。出獄後は党の再建をはかるが、18年石井鉄工場に入社。戦後共産党に入党し、「赤旗再刊実務などをし、また労働運動を多く指導する。24年東京2区から衆議院議員に当選するが、翌年占領軍の追放を受けた。38年から54年まで大田区議をつとめ共産党議員団長として活動。著書に「労働者諸君に訴ふ」などがある。

没年月日
昭和56年10月17日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「伊藤憲一」の解説

伊藤 憲一
イトウ ケンイチ

大正・昭和期の機械工 元・衆院議員(共産党)。



生年
大正1(1912)年1月25日

没年
昭和56(1981)年10月17日

出生地
旧朝鮮

学歴〔年〕
高小〔大正14年〕中退

経歴
大正14年小学校を中退して東京モスリン亀戸工場に入社し、総同盟関東紡織労働組合に加入。昭和元年東京帝大セツルメント市民学校に入学し、社会主義を学ぶ。以後多くの労働運動に参加し、4年検挙されて懲役4年6カ月に処せられる。出獄後は党の再建をはかるが、18年石井鉄工場に入社。戦後共産党に入党し、「赤旗」再刊の実務などをし、また労働運動を多く指導する。24年東京2区から衆議院議員に当選するが、翌年占領軍の追放を受けた。38年から54年まで大田区議をつとめ共産党議員団長として活動。著書に「労働者諸君に訴ふ」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤憲一」の解説

伊藤憲一 いとう-けんいち

1912-1981 大正-昭和時代の労働運動家,政治家
明治45年1月25日生まれ。大正14年東京モスリン亀戸工場にはいり,総同盟関東紡織労働組合にくわわる。昭和4年共産青年同盟の中央委員となり,治安維持法違反で入獄。21年関東労働組合協議会議長。共産党中央委員として産別会議結成を推進した。24年衆議院議員。のち大田区議会議員。昭和56年10月17日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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