古代においては天皇やそれに関連する物を示す標識として赤旗が用いられた。[ 一 ]①に挙げた「古事記」はその例である。赤は邪霊を祓う呪色とされており、この他に、呪術や祭儀などに赤い旗が用いられた例も見出される。
日本共産党中央機関紙。1928年(昭和3)2月1日、コミンテルン支部日本共産党が二七年テーゼに基づいて非合法機関紙『赤旗(せっき)』として創刊。謄写版印刷で党員間にだけ配布された。その後休刊、復刊を繰り返し、1932年4月8日付け第69号から活版印刷になった(1933年12月11日付け第165号まで)が、官憲の弾圧により、1935年2月20日付け第187号で休刊となった。第二次世界大戦後の1945年(昭和20)10月、日本共産党が合法政党として再建されるや、10月20日小冊子形で再刊、翌1946年1月に『アカハタ』と改題(週刊)、2月3日から週5日刊、1947年10月1日から日刊となり、党勢の拡大とともに部数を伸ばした。だがGHQ(連合国最高司令部)の占領政策の転換、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)などにより、1950年7月18日マッカーサー司令官により無期限発行停止を命ぜられた。1952年日本が独立を回復すると、5月1日復刊(週刊)、1954年3月日刊となる。その間、極左冒険主義路線で党勢が衰退したが、1958年第7回大会で極左的偏向を自己批判して宮本顕治体制を確立。党勢を拡大するとともに、1959年3月1日に『アカハタ日曜版』を創刊、1966年2月には本紙を『赤旗(あかはた)』に改題、部数を飛躍的に伸ばした。
1968年にはスポーツ面、1985年には「東京ニュース通信社」の配信を受けてラジオ・テレビ欄を設けるなど、内容を充実するとともに国内外の各種一般報道にも力を入れている。時事通信社、ロイター通信社(イギリス)などと契約しているほか、ロンドン、北京、カイロ、ハノイ、ワシントン、メキシコ市などに支局を置いて世界各地に通信網を広げ、日本の政党機関紙のなかでは抜群の取材体制をとり多彩な紙面をつくっている。1997年(平成9)4月1日『しんぶん赤旗』と改題、2000年代に入ってからは、読者の高齢化に伴い文字の拡大を図り、経済や暮らしをはじめ生活に密着した記事を増やすなど紙面改革にも力を入れている。東京のほか札幌、北上(岩手県)、小牧(愛知県)、大阪、福岡各市でも印刷発行している。推計部数は日刊、日曜版あわせて約170万部(2004)。
[春原昭彦]
1928年に創刊された日本共産党中央機関紙。ただし,第2次大戦前は一般に〈せっき〉と呼ばれた。なお,これに先だって1923年4~6月に同名の雑誌が刊行されている。これは,1922年創立の第1次日本共産党の党員,山川均,市川正一らによって出された日本共産党合法理論機関誌である。機関紙《赤旗(せつき)》は,28年2月1日に謄写印刷で創刊され,月2回刊,定価5銭で,完全な非合法新聞として刊行されつづけたが,相次ぐ官憲の弾圧によって35年に停刊した。《赤旗》の発刊は,コミンテルンで決議された〈27年テーゼ〉と〈日本共産党の組織テーゼ〉の方針にそったもので,創刊号は600~800部発行された。その後,非公然下の党を指導し,反戦闘争や労農運動を党に結合する上で大きな役割を果たした。32年4月には活版印刷となり部数は7000に達した。また,一般の印刷所では絶えず検挙の危険にさらされていたため,独自の地下印刷所も建設された。東京本郷にあった研文社のように,民間の製版所が赤旗印刷所とされた例もある。しかし,32年10月30日の〈熱海事件〉による大検挙につづく党中央委員の相次ぐ逮捕,地下印刷所の手入れによって33年末には再び謄写印刷にもどり,35年2月20日付187号をもって中絶した。ただし,36年8月1日,日本共産党再建準備委員会の機関紙《赤旗》が刊行されたが,これは関西地方委員会のもので,正式の中央機関紙とはみなされていない。
戦後の《赤旗》は,戦前のものの復刊の形で45年10月20日に発刊され,再刊1号から4号まではリーフレット型で刊行されたが,45年12月5日付5号より新聞型となった。46年1月から題字を《アカハタ》と改め(1966年2月には《赤旗》にもどす),政党機関紙としてはもっとも活発な活動を展開したが,50年6月25日の朝鮮戦争開始の翌日,連合軍最高司令官マッカーサーにより1ヵ月の停刊,さらに7月18日には無期限発行停止を命令された。それとともに,24名の共産党中央委員,17名の《アカハタ》幹部が公職から追放された。しかし,52年講和条約発効にともない,5月から週刊で復刊,54年3月から日刊にもどった。59年3月1日からは《アカハタ日曜版》が創刊され,親しみやすい編集で発行部数をのばしている。本紙では,65年1月〈です・ます〉調の採用,68年10月スポーツ欄の新設,73年9月16ページ建ての実施など,大衆的・一般紙的紙面作りが目ざされている。〈拡大月間〉が設定され,読者を意識的に拡大し,党支持者層を広げる上で,同紙は重要な役割を担っている。発行部数は日刊紙,日曜版あわせて353万部(1980年2月)で,国内の政党機関紙のうちで最大であり,資本主義国の共産党中央機関紙としてももっとも多い。モスクワ,ワシントン,パリ,ローマなど10余ヵ国に海外支局をもつ。なお,《赤旗評論特集版》《赤旗学習・党活動版》(ともに週刊),《点字赤旗》(月刊)も刊行されている。
執筆者:梅田 俊英
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…これは,1922年創立の第1次日本共産党の党員,山川均,市川正一らによって出された日本共産党合法理論機関誌である。機関紙《赤旗(せつき)》は,28年2月1日に謄写印刷で創刊され,月2回刊,定価5銭で,完全な非合法新聞として刊行されつづけたが,相次ぐ官憲の弾圧によって35年に停刊した。《赤旗》の発刊は,コミンテルンで決議された〈27年テーゼ〉と〈日本共産党の組織テーゼ〉の方針にそったもので,創刊号は600~800部発行された。…
…1926年12月再建された共産党は,金融恐慌下の労農争議や田中義一内閣の山東出兵に反対する対支非干渉運動を日本労働組合評議会(評議会),日本農民組合,労働農民党(労農党)などの合法組織をとおして闘いみずからの姿は秘匿していた。しかし27年12月の拡大中央委員会で,この年の7月に作成された綱領(27年テーゼ)を採択し,テーゼで指示された独自活動の方針にもとづいて工場内の組織づくりに着手し,翌28年2月には機関紙《赤旗》の創刊や第1回の普通選挙に徳田球一,山本懸蔵などの党員を労農党候補者として立てるなど新たな活動を開始していた。 共産党の動向を極秘裡に内偵をすすめていた警察当局は,3月15日未明を期して1道3府23県にわたって共産党員とその同調者と目される1568人を逮捕・勾留し,うち488人を治安維持法違反で起訴した。…
…ジョレスが暗殺されて以降は,《ユマニテ》の低迷をマルセル・カシャンが主幹になって立て直した。《ユマニテ》が共産党中央機関紙となったのは20年からだが,以降イタリアの《ウニタ》,中国の《人民日報》,日本の《赤旗》とならんで,日刊の共産党機関紙の代名詞のようになっている。しかし政党機関紙は共産党だけにあるのではない。…
…当初は社会主義理論の紹介と解説が中心だったが,20年半ばごろよりソビエト制度の研究に多くの誌面をさき,新生労農ロシアの実情を紹介するうえで大きな役割を果たした。23年4月《前衛》《無産階級》と合併して《赤旗》となり,第1次日本共産党の理論機関誌となった。(3)1924年5月山崎今朝弥が新光社から創刊した日本フェビアン協会の機関誌。…
※「赤旗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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