出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
「全日本産業別労働組合会議」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…第2次大戦後,経済復興を労使協力により達成するため,総同盟と経済同友会が中心となり,産別会議,経営者団体,技術者団体,調査団体,学識経験者等の参加を得て結成された国民運動組織。1947年2月に結成され(議長は鈴木茂三郎),48年4月に事実上解散した。…
…産別会議(1946年8月結成)の指導によって,1946年秋に行われた,傘下12産業別組合の共同闘争のことで,第2次大戦後数年間の〈組合攻勢期〉の頂点をなす争議の一つに数えられる。敗戦後,急速な盛上がりをみせてきた労働運動は,この年の春以来,占領軍と政府による生産管理の否認,大量解雇,大衆示威行為禁止などの厳しい弾圧をうけて,戦後最初の後退を余儀なくされた。…
…二・一ストが禁止された後,スト準備に結集した労働組合の団結を持続するとともに,訪日が予定されていた世界労連代表団の統一的な歓迎母体となるため,1947年3月10日結成された。産別会議,総同盟のほか,当時の中立系主要労働組合のほとんどが加盟し,第2次大戦後初の労働戦線統一組織となった。しかし総同盟の加盟を考慮して,決議は満場一致制とするなど,その性格はゆるやかな連絡協議機関にとどまった。…
…このような形で労働組合の組織化が進んだのは,日本ではもともと職業をきずなとして企業を越えて連帯するという伝統が弱かったうえに,戦争と敗戦にともなう生活の悪化が職員・工員の別なく進展したばかりでなく,〈民主化〉ムードのなかで職員も工員も同じ従業員という意識が浸透していったから,同じ企業・事業所でいっしょに働いている者どうしで連帯するというのが最も近道だったからである。これらの企業別組合は,産業別に連合を組むとともに,46年8月には産別会議(共産党系),総同盟(社会党系)という二つのナショナル・センターにそれぞれ結集していったが,産別会議がこの時期の運動のヘゲモニーを握った。 敗戦直後の運動は,戦争と敗戦による生産の荒廃と悪性インフレの進展のもとで,企業に生産再開を促しつつ,大幅な賃金引上げを図っていくことに重点が置かれていた。…
※「産別会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新