朝日日本歴史人物事典 「伊達弥助」の解説
伊達弥助
生年:天保10(1839)
幕末明治期の京都西陣の機業家。父弥助と共に西陣機業の近代化に貢献。幼名を徳松といい,明治9(1876)年父の死去に伴い弥助を襲名した。伊達家は代々西陣で織屋を営み,屋号を井筒屋といった。父は天鵞絨に友禅染を行う方法を工夫するなど研究心に富んだ機業家で,6年ウィーン万国博覧会に日本政府によって技術伝習生として派遣され,ヨーロッパ諸国の近代的な織物業を視察し,オーストリア式ジャカードを導入した。その子弥助は舎密学者辻礼輔に師事して画法と舎密学を修めた教養人であった。近代的な織法を研究する一方で,日本の古典的な意匠を伝統的な西陣織の技術によって精緻な絵画的織文とすることを試み,伊達錆織を創作した。23年帝室技芸委員となり,第3回内国勧業博覧会,京都市工業物産会の審査員などを歴任。25年には臨時全国宝物取調局御用掛となるが,同年病没した。参考史跡に京都の北野天満宮境内の「西陣名技碑」がある。
(杉森哲也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報