伊達弥助(読み)だて やすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊達弥助」の解説

伊達弥助(5代) だて-やすけ

1839-1892 幕末-明治時代の機業家。
天保(てんぽう)10年生まれ。家は代々京都西陣の織屋屋号井筒屋。明治9年父(4代弥助)の死により5代をつぐ。日本古代の絵画彫刻意匠を参考に幽谷織(伊達錆織(せいしょく))を考案した。明治23年帝室技芸員。明治25年3月20日死去。54歳。幼名は徳松。代表作に「秋草鶉(うずら)図繻珍掛幅(しゅちんかけふく)」(今尾景年原画),「錦地百蝶図壁掛」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊達弥助の言及

【明治・大正時代美術】より

… 明治初年,すでに蒔絵の柴田是真や彫金の加納夏雄は,名工として世に知られていたが,大多数の工芸職人たちはこうした工芸振興策をあしがかりとして頭角を現していった。彫金の海野勝珉(うんのしようみん),布目(ぬのめ)象嵌の鹿島一布(かしまいつぷ)(1828‐1900),蒔絵の白山(しらやま)松哉,無線七宝の濤川(なみかわ)惣助,西陣織の伊達弥助(1844‐92),そして陶工の〈歳寒三友〉とたとえられた宮川香山(1842‐1916),竹本隼太(はやた)(1848‐92),3代清風与平(せいふうよへい)(1851‐1914)たちである。
[近代化への道]
 1907年官設の展覧会として文部省美術展覧会(文展)が開設された。…

※「伊達弥助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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