伏熊村(読み)ふしくまむら

日本歴史地名大系 「伏熊村」の解説

伏熊村
ふしくまむら

[現在地名]大江町三郷さんごう

最上川東岸にあり、東は中郷なかごう(現寒河江市)、南は深沢ふかさわ村、最上川対岸は藤田ふじた村・富沢とみざわ村。承久の乱で敗れた大江親広が富沢に潜居したとき、中山忠義を当地に置いて警戒にあたらせたという(「中山玄蕃頭系図」松田文書)。中山氏の居館は集落東にある台地で、現在護真ごしん寺がある。当村では近年まで鯉のぼりを立てず、鶏も飼わないで、目立たないようにしていたと伝える(「大江町史」地誌編)。中山忠義は貞永元年(一二三二)に没したが、中山氏は地域開発の祖となり、八代中山定勝まで当村に住した。一四世紀末から長崎ながさき(現東村山郡中山町)に居を移し、長崎の開発領主となって長崎領一二ヵ村を支配した(中山玄蕃頭系図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む