会村(読み)あいむら

日本歴史地名大系 「会村」の解説

会村
あいむら

[現在地名]長野市篠ノ井会

現篠ノ井の東南部。現会(あい)区の密集地全体が中世の横田(よこた)城(館)跡となっている。

慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳に「七百三拾石壱斗弐升二合 会村」とあるのが初見。元和四年(一六一八)信州川中島御知行目録には「相村」、正保四年(一六四七)では「合村」と記している。元和年間(一六一五―二四)海津(かいづ)城主酒井忠勝の家老原薩摩守がここに居し、五〇〇石を知行し、会地方の未墾地の開拓・疎水に尽力したと伝える(栄村沿革史)。養和元年(一一八一)六月越後の城資職の横田河原の合戦での陣所となり、同年六月一四日木曾義仲が越後軍の追撃から帰って住した陣所ともなった地である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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