伴林光平(ばんばやしみつひら)(読み)ばんばやしみつひら

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

伴林光平(ばんばやしみつひら)
ばんばやしみつひら
(1813―1864)

幕末の歌人志士河内(かわち)国南河内郡道明寺(どうみょうじ)村(大阪府藤井寺市)尊光寺(そんこうじ)に生まれる。のち大和(やまと)国(奈良県)法隆寺に住む。名は六郎、のち光平と改名。蒿斎(こうさい)と号する。真宗の僧であったが、加納諸平(かのうもろひら)の門人となり、還俗(げんぞく)して伴林六郎と称した。1863年(文久3)侍従中山忠光(ただみつ)中心の南山の義挙(天誅組(てんちゅうぐみ)の変)に加わり、大和国で兵をあげたが、敗れて逃れる途中捕らえられて奈良の奉行(ぶぎょう)所に送られ、のち京都に移され文久(ぶんきゅう)4年2月16日処刑された。52歳。獄中で書いたのが天誅組の挙の記録『南山踏雲録(なんざんとううんろく)』である。歌論に『稲木(とうぼく)抄』(1849成立)など四つの歌論があり、没後集められた『伴林光平歌集』がある。「乗りてこし神代やいづら朝方の雲に浮べる岩船の山」(捕えられし時)など生々しい歌が多い。

[辻森秀英]

『辻森秀英著『近世後期歌壇の研究』(1978・桜楓社)』『佐佐木信綱編『伴林光平全集』全一巻(1944・湯川弘文社)』

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