佐保田荘(読み)さほだのしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐保田荘」の意味・わかりやすい解説

佐保田荘
さほだのしょう

大和(やまと)国添上(そうのかみ)郡(奈良市佐保田町・法蓮(ほうれん)町付近)の興福寺一乗院(いちじょういん)領荘園。一乗院の中心所領の一つで、40町(1町は約119アール)前後の規模をもっていた。荘内は東方西方に二分され、1町2反前後のほぼ均等な名(みょう)があわせて25名編成されていた。名を均等に編成する目的は、円滑に名別公事(くじ)を収取することにある。一乗院門跡(もんぜき)の坊官二条家が門跡後見職とともに当荘の預所職(あずかりどころしき)を世襲したが、均等名(きんとうみょう)からの名別公事はおもにこの預所によって収取された。つまり、当荘は、二条家が一乗院の後見職としての職務を遂行してゆくために宛行(あておこな)われた後見料所(りょうしょ)であった。15世紀後半には25名のうち12名が借金のかたに質入れされており、荘園領主膝下(しっか)の重要所領でさえも危機に瀕(ひん)していたことがうかがわれる。

[安田次郎]

『渡辺澄夫著『増訂 畿内庄園の基礎構造』(1969・吉川弘文館)』

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