近世槍術(そうじゅつ)の一流派。流祖は佐分利猪之助重隆(いのすけしげたか)。重隆の伝はつまびらかではないが、越前(えちぜん)朝倉氏の家臣富田牛生(とだごせい)に学んで富田流槍術の奥義を究め、その後くふうを重ねて、鍵槍(かぎやり)の一流をたて佐分利流を称した。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いの前哨(ぜんしょう)戦となった伊勢(いせ)の安濃津(あのつ)城の籠城(ろうじょう)戦には、浪人の身であったが、兄九之丞の仕える松坂城主古田兵部少輔(ひょうぶのしょう)信勝(のぶかつ)の軍に加わり、槍を振るって活躍をみせたという。のち岡山の池田輝政(てるまさ)に仕え、門弟の岡田源五左衛門重賢(しげかた)・佐々木左内重可(しげよし)の両名に佐分利家を継がせた。重賢の子平蔵重種、その子庄内(しょうない)重勝は備後(びんご)三原浅野侯に仕えて、道統を伝えた。重賢の門下大庭勘助景包(かげかね)は江戸へ出て大いに流名をあげた。
[渡邉一郎]
…江戸時代になると,槍は武士のもつ武具として,またたしなむべき武術として非常に重要な位置を占めるようになり,腰の二刀とともに武士階級を象徴するようになった。流派も数多く出現するが,素槍では,大内無辺の無辺流,竹内藤一郎の竹内流,中山源兵衛吉成の風伝流など,鎌槍では,奈良宝蔵院の僧胤栄の宝蔵院流(これは高田派,中村派,礒野派などに分派する),鍵槍では,内海六郎右衛門重次の内海流,佐分利猪之助重隆の佐分利流,管槍は,伊東紀伊守祐忠の伊東流,小笠原内記貞春の日本覚天流,津田権之丞信之の貫流などがおもな流派である。江戸時代初期にほぼ完成をみた槍術は,中期から後期にかけて技や理論もくふう研究され,とくに練習法の進歩はめざましく,双方が防具を着けて仕合稽古を行うようになった。…
※「佐分利流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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