コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

佐分利流 サブリリュウ

3件 の用語解説(佐分利流の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

さぶり‐りゅう〔‐リウ〕【佐分利流】

槍術の一。江戸時代佐分利猪之助重隆が始めたものという。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

さぶりりゅう【佐分利流】

槍術の一派。江戸初期、佐分利重隆が創始したという。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐分利流
さぶりりゅう

近世槍術(そうじゅつ)の一流派。流祖は佐分利猪之助重隆(いのすけしげたか)。重隆の伝はつまびらかではないが、越前(えちぜん)朝倉氏の家臣富田牛生(とだごせい)に学んで富田流槍術の奥義を究め、その後くふうを重ねて、鍵槍(かぎやり)の一流をたて佐分利流を称した。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いの前哨(ぜんしょう)戦となった伊勢(いせ)の安濃津(あのつ)城の籠城(ろうじょう)戦には、浪人の身であったが、兄九之丞の仕える松坂城主古田兵部少輔(ひょうぶのしょう)信勝(のぶかつ)の軍に加わり、槍を振るって活躍をみせたという。のち岡山の池田輝政(てるまさ)に仕え、門弟の岡田源五左衛門重賢(しげかた)・佐々木左内重可(しげよし)の両名に佐分利家を継がせた。重賢の子平蔵重種、その子庄内(しょうない)重勝は備後(びんご)三原浅野侯に仕えて、道統を伝えた。重賢の門下大庭勘助景包(かげかね)は江戸へ出て大いに流名をあげた。[渡邉一郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の佐分利流の言及

【槍術】より

…江戸時代になると,槍は武士のもつ武具として,またたしなむべき武術として非常に重要な位置を占めるようになり,腰の二刀とともに武士階級を象徴するようになった。流派も数多く出現するが,素槍では,大内無辺の無辺流,竹内藤一郎の竹内流,中山源兵衛吉成の風伝流など,鎌槍では,奈良宝蔵院の僧胤栄の宝蔵院流(これは高田派,中村派,礒野派などに分派する),鍵槍では,内海六郎右衛門重次の内海流,佐分利猪之助重隆の佐分利流,管槍は,伊東紀伊守祐忠の伊東流,小笠原内記貞春の日本覚天流,津田権之丞信之の貫流などがおもな流派である。江戸時代初期にほぼ完成をみた槍術は,中期から後期にかけて技や理論もくふう研究され,とくに練習法の進歩はめざましく,双方が防具を着けて仕合稽古を行うようになった。…

※「佐分利流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

佐分利流の関連キーワード大庭勘助倉橋誠太佐分利猪之助佐分利越人佐分利一嗣佐分利左内佐分利信佐分利尚古島末基隆富田牛生

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone