日本歴史地名大系 「佐古」の解説
佐古
さこ
武家地佐古の成立年代は不詳であるが、寛永八―一三年(一六三一―三六)の忠英様御代御山下画図には、佐古の地は侍屋敷や町屋ではなく村方として表現されているが、「町屋ニ被成所」という付紙があり、当時町屋として開発されていたことがわかる。正保三年(一六四六)の徳島城之図(国立公文書館蔵)では佐古川北岸に沿うように東西に細長く町屋が、その北側に佐古町と並行に足軽町、さらにその北に侍屋敷が描かれており、武家地佐古の成立をみることができる。また佐古の南西にも足軽町がみえ、同地(現南佐古三番町・南佐古四番町・南佐古五番町)は「阿波志」には武家地の
文化九年(一八一二)の島々丁名改目録では、佐古には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報