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蜂須賀忠英 はちすか ただてる

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蜂須賀忠英 はちすか-ただてる

1611-1652 江戸時代前期の大名。
慶長16年4月生まれ。蜂須賀至鎮(よししげ)の長男。元和(げんな)6年(1620)祖父蜂須賀家政後見人として阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀家2代となる。大坂城普請手伝い,のち徳川家光の参内の供をつとめ侍従となる。慶安5年4月4日死去。42歳。幼名は千松丸。初名は正鎮(まさしげ),忠鎮。名は「ただひで」ともよむ。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

蜂須賀忠英

没年:承応1.4.4(1652.5.11)
生年:慶長16(1611)
江戸前期の大名,阿波徳島藩の2代藩主。幼名千松丸,のち阿波守を称した。諱は初め正鎮あるいは忠鎮。至鎮の長男。元和6(1620)年に襲封,同9年に将軍徳川秀忠の御前で元服して松平の称号を受ける。年少のため成人までの間,藩政は祖父の蓬庵(家政)が後見をした。忠英の時代には藩政機構も急速に整えられ地方支配も強化されたが,同時に譜代門閥層との軋轢も生じた。海部城番を勤めた家老の益田豊後長行は,藩官僚の代表格たる仕置役の長谷川越前貞恒と対立し,紛議は幕府に提訴されるに至った(「海部騒動」)。正保3(1646)年,幕府が益田の身柄を忠英に引き渡し,誅させたことによって事件は落着した。

(笠谷和比古)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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