佐山左右治(読み)サヤマ ソウジ

20世紀日本人名事典 「佐山左右治」の解説

佐山 左右治
サヤマ ソウジ

明治〜昭和期の教育者 佐野弥生高等学校長。



生年
明治14(1881)年8月20日

没年
昭和42(1967)年4月17日

出生地
福島県東白川郡棚倉町

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和37年〕,勲四等〔昭和40年〕

経歴
棚倉藩士の子として生まれる。小学校卒業ののち苦学して明治37年尋常小学校本科正教員免許を取得。同年栃木県安蘇郡の佐野小学校訓導となる。この頃、のちに佐野裁縫女学校を創立する栗原サダと結婚した。一時、福島県内の小学校で教えるが、大正12年栃木に戻り、植野小学校教師赴任。昭和6年には妻から佐野裁縫女学校の校長職を譲られ、以後の人生を学校の発展に捧げることとなった。13年同校中等学校に昇格させ、佐野高等家政女学校に改称。さらに戦後の22年には、学制改革によって新制高校に昇格し、校名を佐野弥生高等学校とした。校舎増改築や教育設備の充実など、学びやすい環境の整備にも尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐山左右治」の解説

佐山左右治 さやま-そうじ

1881-1967 明治-昭和時代の教育者。
明治14年8月20日生まれ。小学校の教師ののち,妻のサダが郷里の栃木県植野村(佐野市)に開校した佐野裁縫女学校(現佐野清澄高)の2代目校長に昭和6年就任。教育施設拡充,環境の整備など同校の発展につくした。昭和42年4月17日死去。85歳。福島県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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