佐比内村(読み)さひないむら

日本歴史地名大系 「佐比内村」の解説

佐比内村
さひないむら

[現在地名]紫波町佐比内

東方の山中より流れる平栗ひらくり川・中沢なかざわ川・佐比内川上流域の広大な山間地と、佐比内川下流域の狭小な沖積地を占める。西は彦部ひこべ村、北は赤沢あかざわ村、東は山を越えて稗貫ひえぬき内川目うちかわめ(現大迫町)、南は同郡かめもり(現同上)。佐比内はアイヌ語に由来するともいわれ、サッピナイは乾いた小石の川の意。遠野街道が通る。寛永四年(一六二七)の南部利直知行宛行状(三翁昔語)に村名がみえ、高六七七石余が八戸弥六郎直義(遠野南部氏)知行地となった。寛永一八年の高九二七石余、八戸弥六郎(八七〇石余)・鳥谷孫左衛門(五七石余)の知行地となっている(「検地高目録写」県立図書館蔵)正保国絵図では高三五一石余。延宝三年(一六七五)検地帳(市右衛門文書)によれば高八一〇石余、うち上田一〇一石余・中田二〇〇石余・下田一一六石余・下々田五二石余・苗代一〇石余・稗田四石余・下稗田二斗余、上畑三六石余・中畑九〇石余・下畑七九石余・下々畑一一八石余、名請人数一七〇。

佐比内村
さひないむら

[現在地名]遠野市上郷町佐比内かみごうちようさひない

板沢いたざわ村の東に位置し、東は甲子かつし村・橋野はしの(現釜石市)。北東部に六角牛ろつこうし(一二九四・三メートル)、東部に大開おおびらき(一一三九・二メートル)がそびえ、両山の間の谷を南西に流れる佐比内川(猫川)流域に集落がある。文治五年(一一八九)源頼朝が藤原氏を滅ぼしたのち阿曾沼広綱に遠野一二郷を与えたが(阿曾沼興廃記)、このうち上郷に佐比内が含まれたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報