改訂新版 世界大百科事典 「鉱山集落」の意味・わかりやすい解説
鉱山集落 (こうざんしゅうらく)
mining settlement
鉱山開発によって鉱山地に形成された集落をいう。その規模の大きさによって,鉱山町とか鉱山都市と呼ばれている。鉱山集落のなかでも,炭鉱開発によって成立した集落の場合は,とくに炭鉱集落,炭鉱町,炭鉱都市などと称する。鉱山集落の大きな特色は,その急激な盛衰にある。まだ人間の居住空間となっていない荒野でも,鉱山開発によって急激に集落の発達をみる。しかし,鉱山開発が縮小・休止されると,鉱山集落は急速に衰退し,ときに無人のゴースト・タウンと化する。日本の鉱山の場合,1960年代以降相次ぐ縮小・閉山をみたが,たとえば単一の鉱山企業が標高1000mの山上に形成された居住空間のすべてを統轄した,かつての岩手県松尾鉱山(元山)のごとく,隔絶的な鉱山集落の場合には,休山とともに急速に廃墟と化した。それに対し,明治以前からの鉱山集落である兵庫県の生野などの場合は,鉱山企業直轄外の居住空間が歴史的に広く存在し,休山により人口減をみながらも,集落配置の骨格は存続・維持された。鉱山企業は鉱山の安全と繁栄を祈願して山神を祭った。山神社の祭礼は,鉱山集落の最大の年中行事で,そのにぎわいは鉱山の景況を反映した。
→炭鉱集落
執筆者:川崎 茂
近世日本の鉱山町
17世紀前半の銀山を中心とした鉱山繁栄期に,各地に大規模な鉱山町が形成された。佐渡相川は8万余,石見大森は2万,出羽院内は7000,丹波生野は2万の人口をそれぞれ擁していたという。これらの鉱山町は,多く〈山小屋〉と〈下町〉との二つの区域に分けられていた。金名子(かなこ)・掘大工らの採鉱職人や労務者・床大工らの冶金職人,幕府や藩の経営・管理担当者や山師など鉱山関係者は山小屋地区に,それらの鉱山関係者に必要物資を供給する商人や手工業者たちや,鉱山労務者の慰安・娯楽のための設備や関係者たちは下町区域に,それぞれ居住していた。両地区の間には番屋がおかれ,とくに,鉱産物の山小屋からの持出しを主とする物資移動は強く統制されていた。さらに,両地区を含めて鉱山町は全体としてその区域を厳重に限られ,鉱山奉行などの幕府や藩の役人によって支配されて,周辺の農村や都市との交流を統制されていた。鉱山町の出入口には番屋役所が設けられ,そこで許された者のみが出入することができたし,鉱山町への物資流入は,十分一役などの役銭を納めることとなっていた。幕府や藩は,鉱山町だけで通用する山銭などの貨幣を流通させるなどして,鉱山町を特殊な経済区域として隔離しようとした。鉱山町は鉱山稼行の拠点であるが,幕府や藩にとっては年貢米販売の市場としても重要な意味をもっていた。しかし,鉱業の衰退は鉱山町の衰退と結びついていた。石見銀山では,すでに1702年(元禄15)の鉱山町人口が銀山(山小屋)の1621,大森(下町)の686,合計2307を数えるにすぎなくなっていた。
執筆者:佐々木 潤之介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報