近江商人(読み)おうみしょうにん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

近江商人
おうみしょうにん

近江国出身の商人。特に江戸時代に,行商,出店で全国に進出した。組織的な商法と,刻苦精励で知られる。根拠地が東日本三街道の起点という有利な立地点から,鎌倉時代にはすでに現れている。初めの商品は,近江八幡 (蚊帳畳表) ,日野 (売薬) ,五箇荘 (呉服太物) ,長浜 (ちりめん,肥料) とそれぞれ特色があったが,産物を扱っているうちにその地の産業を押え,全国いたるところの商権を握ったのが特徴。のちには金貸業まで行い,菱垣廻船の運用などで全国的な商いをして,江戸時代を通じて活躍した。明治以降は,その保守的な組織が逆にじゃまをして,近代資本主義に移行できず,経済の主流から退いた。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

近江商人

江戸~明治期に、現在の滋賀県から日本各地を巡って畳表や蚊帳、薬などを売り歩いた。出向いた先に定着し、醸造業などを営む商人もいた。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」は、多くの近江商人の遺訓語録に共通する理念として、昭和になって使われ始めた。現代のCSR(企業の社会的責任)の先取りとも言われる。

(2017-08-25 朝日新聞 朝刊 滋賀全県・1地方)

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デジタル大辞泉の解説

おうみ‐あきんど〔あふみ‐〕【近人】

おうみしょうにん」に同じ。

おうみ‐しょうにん〔あふみシヤウニン〕【近江商人】

近江出身の商人。商売がうまく、江戸初期以来、伊勢出身の商人とともに成功者を多く出した。江商(ごうしょう)。おうみあきんど。

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百科事典マイペディアの解説

近江商人【おうみしょうにん】

中世以来,とくに江戸時代,伊勢商人と並んで全国的に活躍した近江出身の商人。江州(ごうしゅう)商人ともいう。近江は穀倉であり交通の要地でもあったため古くから商業が発展,鎌倉時代末にはすでに延暦寺領蒲生(がもう)郡得珍保(とくちんほ)の商人(保内商人)の活動が知られる。保内商人のほか蒲生郡石塔(いしどう)商人,愛智(えち)郡沓掛商人,神崎郡小幡(おばた)商人はあわせて四本(しほん)商人とよばれ,室町期を通じて活躍した。戦国末期になると近江の商人は八幡・日野・安土・今津・堅田(かただ)・大津・坂本などに集中,織田信長の全国統一後麻布,蚊帳,畳表などを行商し全国各地に進出した。江戸幕府成立後は江戸日本橋通り,大坂本通り,京都三条通りに大店舗を構えた。地方産業にも資本を投入し関東に醸造業を興し,蝦夷(えぞ)松前の水産業の実権を握った(場所請負制)。大名貸も盛んで金融面でも活発だったが,明治初年に回収不能で倒産者も続出した。近現代の著名な商社には近江商人の系譜をひくものも多い。経営は本家と出店を分離して独立採算制をとり,質素・倹約を旨とし,商人道徳を重んじた。
→関連項目愛知川[町]近江国近江八幡[市]行商五個荘[町]滋賀[県]白木屋[株]千草街道八幡町八風街道日野[町]

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世界大百科事典 第2版の解説

おうみしょうにん【近江商人】

近江商人は江州(ごうしゆう)商人ともいわれ,江戸時代には全国的な流通販売網を掌握し,徹底した利潤追求のために〈近江泥坊〉とも呼ばれたほどである。近江商人の起源については朝鮮からの渡来人説などの諸説があるが,多くは京都に近接し,東海・東山・北陸の3道の集中する蒲生(がもう)・神崎(かんざき)・愛知(えち)・坂田の4郡に出自し,その地域が京都への物資の集散に従事する地理的条件下にあることに共通性をもつ。

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大辞林 第三版の解説

おうみしょうにん【近江商人】

近江出身の商人。行商と出店を基本として成長、のちには廻船業にも進出。江戸時代には多くの成功者をだした。江州あきんど。江商ごうしよう

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

近江商人
おうみしょうにん

江戸時代に、江戸・大坂・京都をはじめ各地に店舗を構え、商業界に大きな勢力を有した近江出身の商人をさした呼称。近江は、京都から北陸・東国に通じる交通上の要地にあたり、早く鎌倉時代から商人の活動がみられ、室町時代になると市(いち)、座、行商による商業が発達した。なかでも蒲生(がもう)、神崎(かんざき)、愛知(えち)の湖東三郡の商人の行動は活発で、彼らは集団で隊商を組み、駄馬を引き、または荷を背負って、美濃(みの)、伊勢(いせ)、若狭(わかさ)、越前(えちぜん)方面と京都を結んで行商して歩いた。江戸時代に入ると近江商人の商域は全国に拡大し、その取り扱い商品は近江産の麻布、蚊帳(かや)、畳表から始まり、茶、繰綿(くりわた)、木綿太物(もめんふともの)、紅花(べにばな)、生糸、漆器、薬など営業先各地の各種物産に及んだ。彼らの商業の形態は、まず行商に始まり、市場の開拓、資本の蓄積ができると要地に出店を開設した。出店の開設とともに店舗営業に移るものもあり、また出店を基点に周辺に行商圏を拡大するものもあった。しかし大商人になると、結局は出店を店舗とし、各地に設けた店舗網の間に産物を回送する「産物廻(まわ)し」の商法によって大きな利益をあげた。このように行商は近江商人の特色であり、しかも近世では個人行商から始めて産をなすものが多かったので、俗に「千両天秤(てんびん)」と称した。商業によって蓄積した資本は質屋、金貸しなど金融業にも回され、近江出身地の本店や、江戸の日本橋、大坂の本町、京都の三条通などに店舗を構えた大商人には大名貸しを行うものも多かった。また産業開発においても、日野商人が関東各地に酒、しょうゆなどの醸造業をおこし、あるいは八幡(はちまん)商人、柳川、薩摩(さつま)の両浜商人が蝦夷(えぞ)地(北海道)に進出して漁場の開発にあたったりした。[村井益男]

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世界大百科事典内の近江商人の言及

【伊勢商人】より

…中世,とくに近世,近江商人とならんで江戸・大坂などで活躍した伊勢松坂等出身の商人。江戸時代〈江戸に多きものは伊勢屋,稲荷に犬の糞〉といわれるほど伊勢出身の商人が多く,その商業活動が目覚ましかったが,それは中世における伊勢商人の台頭や活躍と無関係ではなかった。…

【近江国】より

…都と東国を結ぶ交通路では,東海道より中山道のほうが発達し,宿駅も整備された。東海道と中山道を結ぶ千草街道八風(はつぷう)街道も,伊勢に赴く近江商人らに利用され,北国へは西近江路が通じていた。琵琶湖の湖上交通も盛んで,堅田の地侍は回送,造船,漁業の特権を握っていた。…

【千草街道(千種街道)】より

…滋賀県(近江)と三重県(伊勢)北部を結ぶ鈴鹿山脈越えの街道。〈千種越え〉ともいい,中世には約6km北方の八風(はつぷう)街道と並んで,近江商人の伊勢路へ出る重要な通商交通路であった。近江八幡や八日市方面から,瓜生津(うりうづ)を経て甲津畑(かづはた)に至り,それから藤切川を川沿いにさかのぼる山路となる。…

【八幡】より

…また八幡浦は近世の湖上交通の要所で,大津・堅田とならび湖上三親浦と称され,今日も残る堀割(運河)によって町の商工業活動が展開した。1647年(正保4)八幡神社に渡海船額を奉納して知られる海外進出の西村太郎右衛門,近世初期松前の漁場を開いた岡田八十次,松前藩の御用商人西川伝右衛門,元和年間(1615‐24)江戸日本橋に開店した西川甚五郎,西川利右衛門に代表される商人のほか,大坂,京,名古屋等に進出する商人たちは,近江商人の典型であった。元禄~享保年間(1688‐1736)の戸数は1500を数え,諸商人が過半という様子であった。…

※「近江商人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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