日本歴史地名大系 「佐羅科」の解説 佐羅科さらしな 京都府:八幡市八幡惣町科手郷佐羅科[現在地名]八幡市西山足立男山の南西、河内の楠葉(くずは)(現大阪府枚方市)へ通じる道の足立(そくりゆう)寺跡付近をいう。「山城名勝志」に「在男山西麓足立寺辺従葛葉登八幡山通路也、土人サラスナト呼リ」とある。淀川を見下ろす高台にあって、河内への要所であり、また要害男山を攻める背後からの要路であった。「園太暦」貞和四年(一三四八)正月六日条に「昨日武蔵守師直為攻東条、自佐々羅攻向之間、東条軍勢襲来、合戦頗火出程事也、遂楠木帯刀正連(行)并舎弟・和田新発等自殺」とあり、「太平記」の巻三一(八幡合戦事付官軍夜討事)に「和田・楠・湯浅・山本・和泉・河内ノ軍勢ハ、佐羅科ニ支テ戦フ、軍未半ナルニ、高橋ノ在家ヨリ神火燃出テ」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報