八幡惣町(読み)やわたそうまち

日本歴史地名大系 「八幡惣町」の解説

八幡惣町
やわたそうまち

男山・はとヶ峰の山麓北側と東側に位置し、石清水いわしみず八幡宮門前町として形成された町場八幡町ともいう。

慶長五年指出帳(「石清水八幡宮史」所引)によると、橋本はしもと町・科手しなで町・高橋たかはし町・土橋つちはし町・常盤ときわ町・紺座こうのざ田中たなか町・畠中はたなか町・家田いえだ町・山路やまじ町・山本やまもと町・菖蒲池しようぶいけ町・壇所たんしよ町・平谷びようだに町・城之内じようのうち町・園之そのの町・今田いまだ町・鯉池こいいけ町・柴座しばのざ町・大常盤おおときわ町・神原かみはら町・もりの町・馬場ばば町・志水しみず町・大谷おおたに町・平田ひらた村・河田かわた村の二五町二村が列挙され、地子負担町家総数は七七三軒。さらに同帳はこれに町場形成の中核である八幡宮社士(五九軒)、同神人(一三〇軒)、町場居住の百姓(五九軒)、他郷よりの入来居住者(六四軒)を加え、総家数一千八五軒および八幡宮山下寺庵一三〇宇を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「八幡惣町」の意味・わかりやすい解説

八幡惣町【やわたそうまち】

山城国綴喜(つづき)郡の,石清水(いわしみず)八幡宮が鎮座する男山の麓に形成された門前町鳥居前町)。現在の京都府八幡市の旧市街部にあたる。八幡町ともいった。町場形成の端緒(市の発生)は11世紀にさかのぼり,鎌倉時代中期には麹売買などの活動が確認できる。末期には神人(じにん)の以外に商人の座として絹座・布座・染物売座・塩座・皮染座・菓子座・生魚座・菜座など15座が結成されており,商業活動が盛んに行われ,正月には参詣人相手の茶屋も開いていた。町場は中世期を通じて〈八幡宮境内四郷〉の科手(しなで)郷・常盤(ときわ)郷・山路(やまじ)郷・金振(かなぶり)郷に分属しており,1600年には科手町・山路町・橋本町など25町2村が町場として把握されていた。地子負担町家軒数は773。これに町場形成の中核である八幡宮社士59軒,同神人130軒,町場居住の百姓59軒,他郷よりの入来居住者64軒を加えると総計1085軒になり,さらに寺庵が130宇あった。このほか借家町人・小作百姓も居住していたと考えられる。1798年には侍神人・百姓町人の家数1301,人数6814,寺庵数140宇と記録されている。大幅な増加がないのは1600年ころにはすでに町場が完成していたためであろう。18〜19世紀には宿屋10数軒,両替屋12軒,菓子屋8軒,傘屋6軒,酒屋24軒,酒造業者5軒,樽屋15軒などがあった。近世期にも4郷に分属していたが,1881年分離して〈八幡町〉として独立。1889年新しい八幡町の中核となり,1977年八幡市となる。

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世界大百科事典(旧版)内の八幡惣町の言及

【八幡[市]】より

…町場の形成は平安末期から始まり,中世には神人(じにん)の座のほかに絹座,紺座,軽物座など多数の商人の座が成立していた。男山山麓の北と東に形成された門前町の八幡町(八幡惣町)は科手(しなで),常盤(ときわ),山路,金振(かなぶり)の4郷(内四郷)からなり,東に広がる川口など外四郷とあわせて八幡八郷とも八幡荘とも呼ばれた。1600年(慶長5)には八幡惣町は総家数1085,そのほか八幡宮の山下寺庵が130あり,江戸後期に至ってもさほど増加はみられない。…

※「八幡惣町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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