八幡市(読み)ヤワタシ

デジタル大辞泉 「八幡市」の意味・読み・例文・類語

やわた‐し〔やはた‐〕【八幡市】

八幡

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「八幡市」の解説

八幡市
やわたし

面積:二三・五一平方キロ

府南西部にあり、かつては大部分が綴喜郡に属し、その北西部に位置した。京都盆地より大阪への出口、山崎やまざき地峡を形づくる天王てんのう山に相対する男山を中心として、その東辺は木津きづ川左岸である。市北端は桂川・宇治川(淀川)木津川の三川合流地であり、市域の大半が男山丘陵と木津川堤防に囲まれた低地で、市内を南部から北流する防賀ぼうが川・大谷おおたに川その他小河川の内水に悩まされ続けた。

八幡の名は、貞観二年(八六〇)宇佐うさ(現大分県宇佐市)より男山に勧請された石清水いわしみず八幡宮の祭神とされる応神天皇の称、「広幡の八幡の大神」に由来する。「男山考古録」には、「当地名は古の儘にヤハタと云り、或説にハチマムと字音もて称へつる始ハ、八幡太郎義家朝臣より始れりと云り、是も捨かたきいひ事也、こは神号を憚らせて、字音のままを云り」とある。天慶五年(九四二)四月二七日、平将門・藤原純友追討の報賽として始められた石清水臨時祭の歌に、

<資料は省略されています>

とある(臨放記)。「ヤハタ」は、正応五年(一二九二)一二月一四日付の楠葉住人室屋若怠状案(「宮寺見聞私記」所引)に「かうしの事、くすはより、これよりのち、やワたへうり候事、ゆめゆめ候ましく候、のちのためにしやうくたんのことし」とあるように「やワた」となる。

また永禄六年(一五六三)四月二二日付の室町幕府奉行人連署奉書(「石清水八幡宮史」所引)には「当坊領八幡内今橋々賃并円満寺山等事」とあるが、天正一七年(一五八九)一一月二〇日付秀吉朱印状(同書)に「八幡庄内百四十石令寄附畢、全可被寺納候也」とあって、初めて荘名としてあげられている。この場合の読みは、同じく天正一七年の孝蔵主消息(同書)に「まつまつやわたの御事、北政所さまたのみまゐらせ候て、若きみさまの御きとうに御ようしや候へと申上候へハ」とあるところから、すでに現在と同じく「やわた」であった。

〔原始〕

弥生遺跡は男山丘陵に多く、北に銅鐸出土で有名な式部谷しきぶだに遺跡と、南の美濃山みのやまに石錐などを出土するもと(金右衛門垣内)遺跡・井の元南遺跡があり、その間のなかやま幣原しではら南山みなみやまにも分布する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八幡市」の意味・わかりやすい解説

八幡〔市〕
やわた

京都府南部,桂川,宇治川,木津川の3川合流点の南側にある市。大阪府に接し,京都盆地と大阪平野を分ける狭隘部の南側に位置する。 1977年市制。東部は木津川の沖積平野,西部は男山丘陵。中心市街地の八幡は石清水八幡宮鳥居前町として発展。淀川左岸の橋本は対岸の山崎とともに淀川水運の河港として栄えた。農村部では米作のほか野菜栽培も行われ,たけのこをとるためのモウソウチクの林も多い。丘陵上には大規模な住宅団地がある。国道1号線 (京阪国道) 沿いには工場が多い。松花堂およびその跡は史跡に指定されている。また重要文化財を所蔵する円福 (えんぷく) 寺,正法 (しょうぼう) 寺,神応 (じんのう) 寺や石清水八幡宮など名刹が多い。面積 24.35km2。人口 7万433(2020)。

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世界大百科事典(旧版)内の八幡市の言及

【八幡】より

…福岡県北九州市西部の地区名。1917年市制施行の八幡市が,63年門司など4市と合体して北九州市となったため,八幡区として区制を施行し,74年八幡東区,八幡西区に分かれた。人口は東区8万5405,西区25万6176(1995)。…

※「八幡市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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