和歌山県中北部、有田(ありだ)郡にある町。1896年(明治29)町制施行。1956年(昭和31)田栖川(たすかわ)村を編入。JR紀勢本線(きのくに線)、国道42号が通じ、湯浅御坊道路の湯浅インターチェンジがある。町域は、紀伊水道に面するリアス海岸の湯浅湾岸とこれに注ぐ山田川流域にわたり、湯浅荘(しょう)の領域を継承する。熊野街道の宿場、港町として有田郡の中心であった。中世は豪族湯浅氏の本拠となり、その城跡や氏神顕国(けんこく)神社がある。また明恵上人(みょうえしょうにん)にかかわる栖原(すはら)の施無畏(せむい)寺や修行地の率塔婆(そとば)(国の史跡)がある。別所の勝楽寺は薬師如来坐像(にょらいざぞう)(平安時代)などの国指定重要文化財を蔵し、また過去帳に紀国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)の戒名が残る。天文(てんぶん)年間(1532~1555)に始まるとされる特産湯浅醤油(しょうゆ)は古くからよく知られ、廻船(かいせん)運送によって繁栄を続けた。現在もしょうゆのほか径山寺(きんざんじ)(金山寺)みその製造が行われ、醸造蔵などの伝統的町並みは、湯浅町湯浅重要伝統的建造物群保存地区に選定された。また沿岸漁業、ミカンなどの果樹栽培がある。海岸地域は西有田県立自然公園で、海水浴場があり、船釣り、磯釣りの客も多く訪れる。面積20.79平方キロメートル、人口1万1122(2020)。
[小池洋一]
『『湯浅町誌』(1967・湯浅町)』
和歌山県西部,有田郡の町。人口1万3210(2010)。有田市の南に隣接し,湯浅湾に臨む。古来,熊野街道の宿場であった。中世には湯浅荘の地頭湯浅氏の本貫地で,湯浅党は紀州の一大武士勢力であった。江戸時代には良港を擁して発展,関東漁場への出漁も盛んであった。藩の保護を受けてしょうゆ醸造業が栄え,径山寺(きんざんじ)みそとともに特産として知られた。湯浅氏の湯浅城跡が青木に,湯浅宗重が一族の守護神としてまつったという顕国(けんこく)神社が湯浅にある。なお高山寺の明恵(みようえ)は湯浅一族の出身で,栖原(すはら)には明恵ゆかりの施無畏(せむい)寺があり,古文書を蔵する。白上峰や湯浅湾中の苅藻(かるも)島は明恵修行の地として知られる。JR紀勢本線が通じ,阪和自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:重見 之雄
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