20世紀日本人名事典 「佐藤勤也」の解説 佐藤 勤也サトウ キンヤ 明治・大正期の医師 名古屋市伝染病院医長。 生年元治1年8月6日(1864年) 没年大正9(1920)年5月24日 出生地三河国碧海郡安城(愛知県) 学歴〔年〕帝国大学医科〔明治23年〕卒 学位〔年〕医学博士〔明治40年〕 経歴明治23年帝国大学医科を卒業して同大助手となり、のち名古屋の私立好生館病院副院長となる。その後、名古屋市伝染病院医長、愛知結核予防会理事などを務める。この間、日露戦争には篤志医員を務め、瑞宝章を受けた。著書に「実用産科学」「医学研究回顧纂録」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤勤也」の解説 佐藤勤也 さとう-きんや 1864-1920 明治-大正時代の産婦人科医。元治(げんじ)元年8月6日生まれ。明治24年名古屋の私立好生館病院副院長となる。のち名古屋市伝染病院医長,愛知結核予防会理事などをつとめた。大正9年5月24日死去。57歳。三河(愛知県)出身。帝国大学卒。著作に「実用産科学」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by