佐野秀之助(読み)サノ ヒデノスケ

20世紀日本人名事典 「佐野秀之助」の解説

佐野 秀之助
サノ ヒデノスケ

大正・昭和期の冶金学者



生年
明治20(1887)年12月19日

没年
昭和30(1955)年12月24日

出生地
大阪

学歴〔年〕
東京帝大工科大学採鉱科〔明治45年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔大正15年〕

経歴
明治専門学校教授となり、大正2年ドイツ、フランス、英米に留学、8年東大、筑豊鉱山学校講師兼任、11年東京帝大教授。昭和9年欧米出張、10年帰国、旅順工科大講師、興亜学院採鉱科長兼務。15年中国北京大学工学院名誉教授。18年東大第1工学部長。戦後石炭庁参与、23年同庁長官、同年東大名誉教授。25年秋田大学学長。また日本鉱業会会長、日本鉱山協会学術研究委員会、日本動力協会、日本学術振興会など50有余の公職に活躍。著書に「採炭実技図解集」など採炭に関する文献がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐野秀之助」の解説

佐野秀之助 さの-ひでのすけ

1887-1955 大正-昭和時代の鉱山学者。
明治20年12月19日生まれ。明治専門学校教授をへて,大正11年東京帝大教授となる。昭和23年石炭庁長官,25年秋田大学長。その間,日本鉱業会会長をつとめた。石炭採掘技術の研究で知られる。昭和30年12月24日死去。68歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「採炭実技図解集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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