余目郷
あまるめごう
鎌倉期より室町期にかけての郷村名で、留守氏の所領として余部村・余目保・余目村などとみえる。郷村域は時代により変化したと考えられるが、近世の岩切村端郷余目、現在の余目地区を中心としたものと考えられる。文永二年(一二六五)三月二日留守氏三代家広より子家政に、高用名のうち余部村の地頭職が村岡村(現宮城郡利府町)などとともに譲られたが、うち女房ならびに須弥谷女子・伊沢女子分は除かれている(「留守家広譲状」留守文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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