日本歴史地名大系 「倉戸村」の解説 倉戸村くらどむら 佐賀県:神埼郡神埼町倉戸村[現在地名]神埼町大字本堀(もとほり)字蔵戸(くらど)田手(たで)川沿いにあり、現神埼町の東南端にあたる。中世文書では、現在の蔵戸を中心とした一帯(現千代田町の下板(しもいた)付近も含む)を倉戸郷とよんでいる。正応二年(一二八九)の蒙古合戦勲功地配分状(深江家文書)にその名がみえる。また正和五年(一三一六)一〇月二五日付の詫摩道覚譲状案(詫摩文書)に「一、ひせんの国かんさきの庄くらとのこう(倉戸郷)」とある。蔵戸(倉戸)の地名は、古代朝廷の直轄領である屯倉の設けられた地域によくみられる。鎌倉末期、正和年間の櫛田(くしだ)神社の改築のさまを伝える櫛田大明神由緒記には倉戸津・蒲田江(かまたえ)津(現佐賀市)の名をあげており、倉戸の集落が海上交通の要所であったことがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by