倉骨村(読み)くらほねむら

日本歴史地名大系 「倉骨村」の解説

倉骨村
くらほねむら

[現在地名]大田原市倉骨

中央を巻(まき)川が南流し、東は金丸(かねまる)丘陵、西も丘陵地で、集落は両河岸の微高地にある。東は蛭田(ひるた)村(現那須郡湯津上村)、南は片府田(かたふた)村(現同上)、北は鹿畑(かばた)村。天正一八年(一五九〇)の那須藤王丸資景知行目録(那須文書)に「くらほね」とみえ、一九二石九斗六升。慶安郷帳には鞍骨(くらほね)村とあり、田七〇石余・畑一二二石余。初めは那須藩領。貞享四年(一六八七)幕府領となり、元禄一〇年(一六九七)以降旗本久世領。天保一三年(一八四二)名主太郎左衛門が久世氏に差出した歎願書(「御知行所那須郡倉骨村一件」郡司勇一文書)によると、享和(一八〇一―〇四)頃三〇軒余あった農家がすでに一四軒潰れるなど荒廃がひどいので、年貢免除を願出た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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