日本歴史地名大系 「倍加村」の解説 倍加村へかむら 大阪府:茨木市倍加村[現在地名]茨木市春日(かすが)一丁目・同三―五丁目・上中条(かみちゆうじよう)一―二丁目・駅前(えきまえ)二丁目・畑田(はたけだ)町・西田中(にしたなか)町東は上中条村、南は下中条村に接し、地形は平坦。倍賀とも書き「べか」ともいう(摂津志)。寛元元年(一二四三)五月二一日の奥書をもつ沙弥心空筆勝尾寺古流記(勝尾寺文書)に、光仁天皇が勝尾(かつお)寺(現箕面市)に施入した水田六〇町の在所七ヵ村の一として「倍賀」がみえ、応永年間(一三九四―一四二八)とみられる勝尾寺の如法経奉加帳(同文書)に「ヘカ」の兵衛尉の名を記す。総持寺散在所領取帳写(常称寺文書)の文安二年(一四四五)正月一七日請取分にも「へかノ三郎二郎」などが散見。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by