上中条村(読み)かみちゆうじようむら

日本歴史地名大系 「上中条村」の解説

上中条村
かみちゆうじようむら

[現在地名]熊谷市上中条

埼玉郡おし領に所属(風土記稿)。荒川の沖積扇状地末端の湧水地帯に位置し、北はふく川を境に幡羅はら日向ひなた(現妻沼町)、西は今井いまい村。酒巻さかまき河岸(現行田市)へ通じる往還沿いに宿並が形成されていたといわれ、上宿かみじゆく・中宿・下宿の小字が残る。かつては条里遺構がみられ、中世中条保に含まれていた。文禄三年(一五九四)四月一日、下忍(現行田市)にあった聖天しようでん院が当地の常光じようこう院に併合されるにあたり、聖天院屋敷が忍城(現同上)城主松平忠吉の家人小笠原半右衛門尉の給地とされたため、「上中条之郷」の野畠二町が常光院に替地として与えられている(「小笠原吉次替地手形」常光院文書など)


上中条村
かみちゆうじようむら

[現在地名]茨木市上中条一―二丁目・駅前えきまえ二丁目・同四丁目・春日かすが一丁目・同三―五丁目・西田中にしたなか

茨木川を隔てて茨木村の西に位置。元和初年の摂津一国高御改帳には幕府領(片桐貞隆預)の「中条出作」四〇七石余と、高槻藩内藤信正領の「へか・畠田・中条・田中」一千二一一石余がみえる。当村域は中条出作分にあたるのではないかと考えられ、中条出作は寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳では山城勝竜寺藩永井直清領の「茨木村」二千二二三石余のうちに含まれる。天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳には中条出作と同高の「上中条村」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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