日本大百科全書(ニッポニカ) 「借家人運動」の意味・わかりやすい解説
借家人運動
しゃくやにんうんどう
おもに大恐慌下に展開された家賃値下げを要求する大衆運動。第一次世界大戦期に都市への人口集中が進んだ結果、住宅問題が深刻となり、1921年(大正10)東京で布施辰治(ふせたつじ)らにより借家人同盟、大阪で賀川豊彦(かがわとよひこ)らにより大阪借家人同盟などが結成され、借家人の利益を守る運動を起こしたのを発端とする。
1929年(昭和4)秋ごろから、不景気が深刻となるとともに、東京、大阪、京都、神戸をはじめ全国の主要都市に、借家人の家主に対する家賃値下げを中心とする借家争議が続発し、無産政党もその組織化に努め、電気・ガス料金値下げ運動などと並んで、この時期の主要な市民運動の一つとなった。30年末の無産政党系組織は日本大衆党系の全国借家人同盟、社会民衆党系の日本借家人組合など167団体、2万2685人を数え、争議は31年1338件、32年1456件発生し、多く借家人側に有利に解決したが、景気の回復とともに衰え、35年ごろに消滅した。
[江口圭一]